昨年末に父が亡くなり、バタバタ実家に滞在したりして、久しぶりに自宅に戻った時に、小学校時代の友人から喪中ハガキが届いていた。
彼女もお父様を半年前に亡くされていた。なんという偶然なんだろう?父を亡くしたばかりの私の元に懐かしい友人も同じ状況である事を知らせるハガキ。少し落ち着いた頃に彼女にLINEを送った。
久しぶりの私からのメッセージに彼女はとても喜んでくれて、お互いに時間を作り電話で久しぶりに直接話をする事ができた。彼女は新潟に移住していて、電話の向こう側は雪が降っているらしい。
小学校時代の友人なので、お互いのお父さんにお会いした事のある仲である。それぞれ父が亡くなった時の話や、その前後の話をしてお互いに悼みあった。
久しぶりの友人とゆっくり話が出来て嬉しかった。
その時に気がついたのは、ひと口に父と言っても本当に人それぞれであるという事だった。自分の父の事しか知らないので、みんなこんな感じなのかと思っていたが、それぞれ家庭によっても大きく違うことに気付かされた。友人が自分の父親に感じている感情は私には共感ができなかった。よく考えたら当たり前のことだ。
私の父は本当にステキな父だった。
優しく、幼い娘だった私にいつも一生懸命に向き合ってくれていた。
妹が生まれたせいで、母の関心は妹に取られてしまい私は淋しかった。父はそんな私のためにたくさんの時間を私と過ごしてくれていた。
私を自転車の後ろにのせて、隣町のアスレチックや博物館へ連れて行ってくれた。よく一緒に本屋さんにも行っていた。近所の公園が貝塚で弥生式土器がよく見つかる。父に見せると石か瓦か土器かを判定してくれた。そのうち自分でも見分けられるようになった。今でもこれは私の特技だ。
夜寝る時はお話しを聴かせてくれた。
私はそれをとても楽しみにしていた。
面白い話をリクエストすると落語や千夜一夜物語を
怖い話をリクエストすると雨月物語や古事記を
単なる昔話だけではなく、こういった話をわかりやすく簡単にして語って聴かせてくれるのだ。その時は何かベースになっているのかなんて分からないが、成長するにつれてあの時の話の元はこれなのか!とわかるのだ。父はそれを誦んじて聴かせてくれるのだから、本当に凄いなぁと大人になってからも思う。
晩年、父はよく私が幼かった頃の思い出話をしていた。いつも何も買ってあげられなかったことを可哀想に思っていたようだ。確かに父に何か買ってもらうことは少なかったが私はいつだって心が満たされていた。豊かな子ども時代を過ごすことができたのは父の存在が大きい。
大人になってからはよく上野の国立博物館に一緒に出かけた。
そんな父は自分が亡くなるための準備をずいぶん前からしていたようだった。ここ2年前くらいから、父は自分がなくなったらこのファイルを見てと言っていたファイルが数冊あった。そこに全てが集められ、整理され、ファイルされていた。
預貯金のある銀行と口座
持っている株と証券会社
年金手帳や年金の資料
病院にかかってもらった検査の資料
持病の薬のこと
土地建物の書類
時には持病に関することや家族葬のこと、年金や相続に関する新聞の切り抜き(そこに赤ペンで印がついていたりする)
延命は望まないという直筆のメッセージ
生前に作ったお墓と墓石の資料
かなり完璧に準備されていて、本当に助かった。
新聞の切り抜きで、父の伝えたいことも伝わってきた。しかしこれだけ色々あるのに遺言書は無い。
おそらく遺産となる金融資産や土地建物の分け方も遺言などで先に決めずにその時の状況で良い方向に考えて分けて欲しいという父の考えなのではないかと思った。
このあと、遺産相続という初めての領域に踏み込みことになるのだが、それはまた別の機会に。
