BAFCが出来たことの話 | 播州赤穂フィルムコミッション -Banshu Ako Film Commission

BAFCが出来たことの話

深夜、仕事も終わり、ふと…

2008年、今から6年前、播州赤穂フィルムコミッション(BAFC)は出来ました。

大阪から赤穂へ帰ってきた時、何か、したい。というか、家業を継ぐ制限なのか、心残りというか。

大阪で『ブラック・レイン』のロケ地をみたドキドキ感、

姫路で盛り上がった『ラストサムライ』の何か、嫉妬感…

赤穂は忠臣蔵の里なのに、撮影は…

お城もあり、海・山・川と自然豊か。なのに、

撮影を誘致するためには、フィルムコミッションというものが必要ということに、自分なりに結論が出て。

しかし、個人で立ち上げても、怪しいし。

そんな時、同級生からJC入会に誘われ、その手段で入りました。

しかし、すぐには、出来ません。

いろんな経験を積ませてもらい、したいことを提案出来る委員長になる、機会をもらい、

いざ、フィルムコミッション!

しかし、そう簡単には。

多くは、公の団体がフィルムコミッションを運営しています。

公。主に、県や市の行政、もしくは観光協会、組合。

多くの先輩フィルムコミッション(FC)さんへ訪問し、お話を聞きました。

時には、東京まで。

ヤメトキナサイ。ただ一言だけ。そんなこともありました。

また、市の観光課、観光協会も取り扱ってくれない。

人が、お金が、ない。そんな回答。

八方塞がりで、提案したフィルムコミッション事業も進まない時、

“二人でやるぞ!”と同級生の言葉。

団体としての条件を1ヶ月で整えてくれて。

2008年6月2日

BAFCは設立することが出来ました。

その後、

当時のひょうごロケ支援Net事務局のDさん、

制作のYさん、

のおかげで奇跡的なロケ地、『BALLAD 名もなき恋のうた』のロケ地が決まることになります。

6年間で16本の映画やドラマ等、撮影支援することが出来ました。

今後も体が続く限り、もっと撮影誘致していきたいと思います。

それが出来るのも、あの時の同級生の、あの一言に尽きます。

“やるぞ!”