年末に、話題の「学士力」について中教審の答申が出された。


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大学生の学習目標「学士力」規定を 中教審が答申

ASAHI.com

2008年12月24日


 大学教育のあり方を議論していた中央教育審議会(山崎正和会長)は24日、「学士課程教育の構築に向けて」と題した答申を塩谷文科相に出した。大学生が共通で身につけるべき学習成果を「学士力」と規定し、大学が参考にできる指針を示していくよう国に求めたことなどが柱だ。高等専門学校の教育の充実を求める答申も出した。

 答申は、「大学全入時代」が迫る中、日本の大学が与える学位(学士)の質を保ち、国際的な通用性を高めることが狙い。知識・理解▽汎用的技能▽態度・志向性▽統合的な学習経験と創造的思考力の4分野で、コミュニケーションの能力や自己管理力など計13項目を学士力の指針として列挙。大学には、学位の授与を厳格化し、水準を確保していくことなどを求めた。

 答申では分野別の質保証の仕組みづくりも国に促した。文科省はすでに、日本学術会議に分野別の到達目標の設定などについて審議を依頼している。今後は学士力の指針などを参考に、各大学で学習成果を重視した教育を進めることが期待されている。

 大学入試をめぐっては、推薦入試や、面接などを重視して選抜するAO入試が広がり、学生の学力不足を指摘する声が強まっている。今回の答申では、大学の入り口段階での対応策として、高校段階でどれだけ学力が身についているかを客観的に把握するための「高大接続テスト(仮称)」の検討も進めるよう提言した。

 高専教育の答申には、地域の産業界との連携促進や、大学に編入する学生が増えていることへの対応などを盛り込んだ。

 一方、塩谷文科相はこの日、学校でのキャリア教育や職業教育をどう進めていくかを新たに中教審に諮問した。(大西史晃)


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学士力については、以前、素案段階において批判的に書いた。(学士力ってどうなの?

基本的な見方としては、当時とそう変わらない。


さて今回の答申で気になるのは、その学士力の話から

GPAをはじめとする成績評価の厳格化に話が及んでいる点である。


この点については、答申に興味深い記載がある。(「学士課程教育の構築に向けて 」より)


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4 成績評価

(1)現状と課題


(ア) 我が国の学士課程教育をめぐっては,卒業認定における評価の厳格化も大きな課題となっている。
評価の厳格化は,卒業時だけの問題ではなく,入学してからの教育指導の過程における成績評価についても,学生の成長という観点から考えなければならない。

(イ) これまで,文部科学省は,成績評価基準の明示,アメリカで一般的に普及しているGPA等の客観的な仕組みの導入を各大学に促してきた*1。しかし,修業年限での卒業率や中退率などの指標で見る限り,我が国の大学の成績評価が厳格化してきているとは言えない。中退者の少なさは国際比較でも顕著であり,そのこと自体は,否定すべきではないが,適正な評価が行われていない可能性も示唆される。

(ウ) 我が国の大学は,成績評価について,個々の教員の裁量に依存しており,組織的な取組が弱いと指摘されてきた。従来のままでは,大学全入時代の学生の変容に際し,学生確保という経営上の要請も相まって,なし崩し的に安易な成績評価が広がるおそれがある。


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先日の読売新聞「大学の実力」の特集で、各大学の退学率が掲載された。

退学率の高い大学については、厳格な成績評価等の理由があるにせよ、

退学率の改善は課題ではないかと感じたのだが、答申ではむしろ中退率が低いことを課題としている。


また「適正な評価が行われていない可能性も示唆される」とまで踏み込んでいる。

つまり教員の成績評価に「?」をつけているわけだから、明確な基準で成績評価を行っている教員は

怒ってしかるべきだと思うような内容である。


さて、導入すべきはGPAとしている。

答申にも注釈で書かれているが、既に4割の大学ではGPAが導入されている。

ただ卒業判定基準や退学勧告といった使い方が、あまりなされていないことを指摘している。



そこまで言わせるGPA(グレード・ポイント・アベレージ)とは何であろう?


誤解を恐れずに言えば、高校でいう評定平均に近い。

各科目の成績(グレード)を数値化(ポイント)し、取得単位数で割った平均値(アベレージ)である。

実は取り入れるだけであれば、そう難しくはない。

既存の秀・優・良・可・不可をそれぞれA,B,C,D,Eに振り分け、

A(4)、B(3)、C(2)、D(1)、E(0)と数値化して平均値を出すだけである。


課題は、その数値をどのように使うかである。ここがなければ意味をなさない。

答申の狙いは、このGPAを卒業基準に組み込むといった使い方。

至極まっとうである。しかし現実問題としては、その舵きりのタイミングが難しい。


アメリカでGPAが機能するのは、アドバイザー制度やシラバスの明確化、大学院進学時の評価項目など

それぞれが有機的に結びついているからである。

そうしたインフラを整えずにGPAだけを導入すると、本人の自覚がないままに退学になっていたり、

成績判定についての質問が山のように出かねない。


そのため課題を避けながらGPAを導入すると、結局形だけのものになってしまいかねない。


AO入試がアメリカのAOと全く異なる形となり、名前だけが残ってしまっているのも、

入学をマッチングとして捉える下地のない日本に、手法だけを持ち込んだ結果といえる。


同様なことがGPAに起こらないことを願いたい。

「学士力」と結び付けられて、早くもこんがらがってしまう心配もあるのだが。