今朝の朝ドラちむどんどんを見ていて、ちょっと不思議に思うことがありました。
和彦が両親と闇市に行って、寿司ネタが手に入らない時勢だったので、シャリの代わりにおからやこんにゃくを使った寿司など、いわゆる代替え品の食材を食べていたというのです。
和彦は5~6歳頃の設定かと。和彦の生まれた年を調べてみたら、昭和24年だそうです。
私は昭和30年の初頭の生まれです。すると、ちょうど私が生まれた年の頃に、闇市で、あのような代替え品を食べていたことになります。
変なんですよね。私は生後一年経たない頃に、父の転勤で、東京世田谷の三軒茶屋に移転していました。その頃の記憶はありませんが、写真がたくさんあり、 よちよち歩きの頃の話もたくさん聞きました。闇市や、ドラマでは、それが変わったマーケットなるもの、といっていましたが、私は赤ちゃんながら、デパートや渋谷のお蕎麦屋さんに、普通に通っていたそうです。オモチャも手に入りました。買い物や食事で困ったことはなかったようです。 可愛らしいベビー服も着ていました。それなのに、昭和30年には闇市で代替え品の寿司しか食べられず、その1~2年後なのに、突如として東京は経済発展を遂げた、なんてあるわけない。
また、両親は結婚する前には、父は普通の会社に勤めていましたし、母もブロマイド風の写真に、 映画スターのようなワンピースを着て写っています。 あまりにお洒落で笑ってしまいます。
地方でも何年も前からそうなのでしたから 、東京であの時期に、闇市があったというのは 時代考証が変な気がします。
昭和30年頃には、もう完全に近い 戦後の復興を遂げていたのではないでしょうか。
昭和30年初頭には『もはや戦後ではない』と言われた時期だったと思います。
私が小学校低学年の時に東京オリンピックが開かれています。 それが、その6~8年前には、まだ闇市があって、代替えの寿司を食べたというのは、ちょっとおかしな話だと思います。
お寿司屋さんや、お蕎麦屋さん、ラーメン屋さんも、もう、ちゃんとありました。
代替え品のお寿司に、ちょっと強引にこじつけた感じの 闇市の話だったと思います。