むかし、あ~う~で名にし負う、かの大平首相が、座右の銘にしてた、一日一生、と言う文言ににてます。
この一言がぐっときたのは、タクシードライバーと言う韓国ドラマ、マグダラのマリヤちゅうハリウッド作品見て、やりきれない真実を、ことに自分のていたらくが白日にさらされてるようで、ぶち込まれ凹む、あとは寝込むしかない、まあ、そんなとき、マンガでも読もうと、チャラいのを探していて目にしたのが、それ。
光州事件での軍部のテロを世界に報道しょうとしたドイツ人記者に手をかした、凡そ政治とは無関係なしがないタクシードライバーの命がけの逃走幇助劇、イエスキリストのゴルゴダの丘にいたる死の十字架の13階段までの目撃者兼従者としての、また復活のイェスの生き証人としての、告白劇、これ、来し方を顧みて、がーんときました。
とても、いまの自分は悩んでいて、歳もくい、もう逃げ場もない、ああ俺は終わりやと、落ち込んでいたんで、人を愛する、こんなの、自分には無理や、こんな無力で怠惰な人間になろうとは、なさけない、オヤジ、赦して、神様、すみません、飢餓で今にも死にそうな多くの子供たちに申し訳ない、胸はって生きれない~
あのタクシードライバーみたいに無償で、テロに対抗するために外国のレポーターに手をかせるだろうか?ほんの百分の一でも、あの重い十字架の一部を担げるだろうか、十字架を担うとは、まさにゴルゴダの十三階段を登ること、これが愛の真実なんだろうけど、こんなの無理、無理なんです。
手な具合で、ゴロゴロと落ちる一方。こんなとき
身の丈にあった、正義とか愛のカケラでも啜る、方便ありやなしや。
一日生きりゃ、しかも、目一杯生きりゃ、それでええのや。ここに落ち着く。
幻想捨てて、行動あるのみ、この実践できる人が、達人なんや~と。