幸せと不幸せは、いつも背中合わせだということを、僕はまだ知らなかった。
車に夢中だった僕は、ガソリンスタンドの店の戸締まりを任されていた。
夜10時になると店を閉め、スタンドの整備スペースに車を入れる。
そして、店主には内緒で作業を始める。
車の下に潜り込み、油まみれになったツナギ。
油で黒く汚れた手。
そんな姿は、まるでブルース・スプリングスティーンのプロモーションビデオに出てくる、下町の明日を夢見る若者のようだった。
いつか、彼女を幸せにできる。
あの頃の僕は、本気でそう信じていた。
作業を終え、油で黒くなった手を何度も洗う。
それでも、爪の奥に入り込んだ油は、なかなか落ちない。
そのまま僕は、深夜までファミリーレストランでアルバイトをしている彼女を迎えに行った。
ファミレスの駐車場で、彼女の仕事が終わるのを待つ。
僕は、覚えたばかりのタバコに火をつけた。
しばらくすると、仕事を終えた彼女が車のサイドウィンドウをコンコンと叩いた。
ドアを開ける。
「ただいま」
彼女がそう言った。
「おかえり」
僕は車を走らせる。
すると彼女は、いつものように話し始めた。
バイト先の話。
学校の友達の話。
家族の話。
僕は運転しながら、それを聞いていた。
しばらくして、彼女がふと思い出したように言った。
「そういえば、お父さんが今度の日曜日、会いたいって言ってたよ」
「何だろう?」
僕はそう思った。
でも、とりあえず、
「じゃあ、日曜日の夜に行くよ」
そう答えた。
車は、夜の海へ向かって走っていた。
窓の外には、暗い街が流れていく。
僕の手の爪には、まだ油が黒く残っていた。
将来も、この油に汚れた手のままなのだろうか。
こんな僕に、彼女を幸せにできるのだろうか。
そんな不安を抱えていたことを、今でもよく覚えている。
でも――
あの時の僕は、まだ気づいていなかった。
これから自分に起こる出来事が、僕の人生を大きく変えていくことを。
幸せと不幸せは、いつも背中合わせだったことを。
あの時、僕はまだ気づいていなかった。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます。
次回へ続きます。
