『北野武の『首』批評:時代劇の新たな地平か、過剰な自己顕示か?
概要
北野武の最新作『首』が公開され、映画界には新たな波紋が広がっている。この作品は、北野の独特な世界観を戦国時代に持ち込んだ、いわば「戦国版アウトレイジ」とも称されるものだ。しかし、果たしてこの大胆な試みは成功したのか、それとも北野ワールドの過剰な一環に過ぎないのか?今回の批評では、過去の北野映画との比較を交えながら、『首』の評価を深掘りしていこう。
北野式時代劇の挑戦
『首』には、北野映画の代名詞とも言える要素が満載だ。彼の作品における暴力の美学、男性間の複雑な感情、そして黒いユーモアが、戦国時代の背景の中でどのように描かれているのか。本作は、男同士の愛憎劇を中心に据え、ホモソーシャルな絆を探究する。ここまで聞くと、『アウトレイジ』や『HANA-BI』の時代劇版を期待してしまうが、果たして『首』はその期待に応えることができるのだろうか。
「戦国版アウトレイジ」の限界
カンヌ国際映画祭で賛否両論を巻き起こしたこの作品、その残酷な暴力描写や男性社会の権謀術数は、まさに北野映画の集大成のように思える。しかし、時にはその過剰さが、物語の本質を見失わせる要因にもなっている。『首』は、戦国時代の裏切り合戦という舞台を借りて、男性同士の恋愛感情を描く一方で、過去作品で見せた繊細さや内省的な視点が影を潜めているように感じられる。
映像美と物語の乖離
北野映画の魅力の一つは、その美学にある。『首』も例外ではなく、合戦シーンや般若の佐兵衛(寺島進)のシーンなど、目を見張るような映像美が随所に見受けられる。しかし、時代劇という新たな挑戦が、物語の複雑さを増す一因となっている。多くのキャラクターの死が無駄に描かれている印象を受け、エンドクレジットを見ても誰が何をしたのか思い出すのが困難になるほどだ。
まとめ
『首』は、北野武の映画人生において新たな試みであり、その挑戦精神は評価に値する。しかし、その過激な内容や複雑な物語展開は、観客にとっては消化不良を引き起こす可能性もある。『HANA-BI』や『アウトレイジ』といった過去の名作と比較しても、『首』はその独自のスタイルを持ちながらも、北野映画の新たな地平を開くには至らないように思える。この作品が北野武の映画作品としてどのように位置づけられるのか、今後の評価が注目されるところである。
最後に
北野武の映画は常に議論の余地がある。『首』も例外ではなく、その斬新なアプローチが映画史においてどのように評価されるのか、興味深いところだ。次作への期待と共に、彼の映画制作への情熱がこれからも我々を驚かせ、魅了してくれることを願うばかりである。』
・分かりやすくするためにまずみんなの平均的な感想まとめました
・みんな勘違いしてるんやけど、アウトレイジって3作とも全然おもろないよ
・見返してみひどいから
・この映画はまぁひどくてね
・全体的に安いんですよ
・戦国武将のエゲツなさをブラックコメディ交えて安っぽく描くって、ヤンマガですぐ打ち切られる漫画やないねんから
・緊張感のかけらもない
・ダラダラダラダラおもんない
・タケシがフガフガ秀吉演じてるからやって思ってる奴多いけど問題はそこちゃうで
・あんなもん誰が秀吉やってても一緒
・ガワだけで描いてたらそらあんな無様な映画なりますわ
・たけちゃんっていつから人間描かれへんようなったんやろ
・3-4X10月の頃は生身の人間描けてたやん
・コメディアンが奥行き0の安いキャラ描くようなっちゃ終わりよ
・比べたるん可哀想やけどへうげものなんかそれはそれは面白かったじゃない
・なぜ人間を描けんか?
・ホモやから人間って訳ちゃうで
・人間やからホモなんやで
・へうげものの荒木村重見てなんとも思わんか?
・たけちゃんここまで枯れますか
・ガッカリしました
・まだクソおもんないだけの龍三の方がマシですわ