最近特に思うのが、
生まれも育ちも京都という生粋の京都人と、
大学や就職、また結婚してから京都に移り住んだという「外部流入」して来て京都人になった人がいるんだけれど、
生粋の京都人よりも外部流入京都人の方が「京都人っぽい」感じがする。

京都人のイメージってどちらかというと、閉鎖的で保守的で二面性があると言われがちなんですが、意外にそう言われ続けているせいなのか、どんどんそういう性質ではなくなってきているように思うんです。

逆に地方から京都の住みやすさに惹かれて、居ついた人々の方が何故か京都人的に近づいている。

母親は今から半世紀も前に鳥取から集団就職で京都にやってきて、父親と結婚して、ずーっと京都に住んでいる。
もう半世紀もいればどっぷり京都人なんだろうけど、まるで生まれてからずっと京都に住んでいる人みたいだ。

そして今、生粋の京都人はどうなってるのかというと、
世代にもよるのだろうけど、かなり客観的に京都を捉えていて、観光客目線というか、外部目線で生きているような気がする。
また外部に流出し始めている。。

これは映画・「猿の惑星」のストーリーのようで、未来の地球は猿が支配力を持ち始め、人間と猿の力関係が逆転していくというものだ。

かなり近くなってきている。。。

京都人の胃袋と頭の中


露骨なまでに右肩下がりの「イトヘン業界」。
昔ながらの体質、業界が良かった頃のシステム、そして現状を把握し切れていない分析能力の低さ。
これらすべてが京都の歴史的産業である「きもの」をここまで落ち込ませてきた。

また大きな妄想も手伝っていると言えるだろう。
洋装のオートクチュール、プレタポルテなどと同じ尺度で世界発信を企てて、今まで多くの失敗を繰り返してきた。
その失敗の原因が大きな妄想であることを認識できていない。

何故、それが大きな妄想かと言うと、
「きもの」は日本人の「民族衣装」であるという事を忘れているからである。
ドレスなどと着用する意味は同じであっても、あくまでも「民族衣装」なのである。
日本の何倍も人口を抱える中国の民族衣装が何故、世界のマーケットに躍りでていないのだろう?
やはり民族衣装であるからだと断言できる。

日本人の為に、日本人の価値観で作られ、そして日本人の様式にむけて作られたのが「きもの」である。
もちろん海外には日本の歴史的文化を好み、ライフスタイルに取り込む諸外国の一部の人々がいるのは事実ではあるが、
実際に着用するまでには至っていない。

さて、そんなことさえも分析せずに京都でパリコレクションなどをイメージしたファッションショーに莫大な資金を投じて行おうという輩もいるようだ。
いくらの資金が必要なんだろう?本当に嘆かわしいことである。
そんなことをして京都のイトヘン業界にどれだけの経済効果が生まれるというのだ。
それでなくても在庫の山に苦しむ産地、前売問屋は今日や明日の資金に困っているというのに。
自己満足な馬鹿げたイベントに資金を投資してしまうのであれば、目先に売上げにつながる企画に投資するべきではないのだろうか?

不景気なこの時代においても京都の観光客は減少はしていない。
観光客における経済効果は年間6000億円を超えると言う。
リタイアした団塊の世代が大きく関わっていることは否めない。
寺社仏閣への観光に加え、京都市内での飲食、そして土産物の購入が大きな経済効果となっている。
しかし、まだまだ土産物の産業は成熟しているとは言えない。

観光客が京都へ来て手に入れたいものは「あぶらとり紙」や「八つ橋」などだけではない。
京都が誇れる伝統産業商品である「きもの」が観光客に向けて販売されていません。
例えば私たちが北陸に行けば、日本海で獲れた新鮮な魚介類を購入し、クール宅急便で自宅へ配送するだろう。
ではそれを京都に置き換えた時、魚介類がきものになるのではないだろうか?

安く、良い物を、本場で購入できるメリットを観光客は望んでいるはずなのに、京都では観光客に向けてそのような環境を用意していない。

室町通りというきものの問屋が立ち並ぶ通りは観光客にとって宝島であるに違いない。
しかし観光客のほとんどは足を踏み入れていない。
それはきもの業界が観光客の誘致を行っていないからである。

では何故、観光客を招き入れないのか?
「問屋は小売屋への販売の為に存在している」という古い考え方を守り続けているからである。

それは小売屋できものが売れていた時代の話である。
小売屋に販売する力が無くなりつつある現状であるにもかかわらず、いまだに律儀にそのルールを守り「来たるべく良い時代」を待っているのである。

問屋の奥に腐りかけて眠る伝統工芸師など巧みの技を観光客に販売することによって、京都の地場産業の衰退を阻止するのではないだろうか。
安く購入できる日本全国から訪れる観光客に喜ばれ、換金が不可能だと思われていた問屋の在庫に命を吹き込むことができるのだ。


毎夜、午後5時から午後10時まで室町通りの問屋が店を開けて、在庫商品を観光客に提供すれば観光客による経済効果は確実に上昇すると共に、伝統産業に従事する人々の仕事が増加することになるだろう。
実際、きもの業界を支える腕のある職人たちは「つぶし」がきく存在ではない。
故に彼らを支えていくためにも室町通りで一般へのきもの販売を早急に行うべきだと考えます。

どうも京都の味と言うのは「うす味」ってイメージがあるんでしょうけど、実は京都人が好む味って意外にも濃いものなんです。
だからラーメンにも顕著にあらわれています。

今では全国区になった「天下一品 」の濃厚具合は世界一と言っても過言ではないでしょう。
あと味の濃さで言えば「新福菜館 」ですね。あの殺人的な色の濃さと言ったら・・・・。

とにかく本当の京都の味ってメチャクチャ濃いわけです。


そこで独断と偏見でセレクトした京都のラーメン屋を紹介します。



第一旭

京都人の胃袋と頭の中

僕にとって世界基準的なラーメン屋です。
午前5時から午前2時まで営業している根性の入ったラーメン屋です。
こまかな注文に応えることの出来る数少ないプロ中のプロです。


萬福
ジャンル的には第一旭の流れをくむ澄んだ豚骨スープ。
ここのバラ肉がたまらなく美味い!
ここもなかなかプロです。


ますたに
京都系ラーメンの王道とも言える「背脂チャッチャ系」です。
ますたにがなかったら今の京都系ラーメンは誕生しなかったでしょう。
お酢を半周かけると甘味が出るという不思議なスタンダードです。


大王老麺
そんなに古くからある店ではないのですが、ラーメンの成熟度はベテランの域です。
細麺で一見、九州的なたたずまいですが、そんな簡単なものじゃありません。
トッピングされているネギのシャキシャキ感は最高です。



一度、全店確認してみて、京都人の本音を感じ取ってみてください。







京都人の胃袋と頭の中

歴史都市である京都にも洋食の文化が深く根付いている。
それは単純な西洋料理ではなく、京都人のコダワリが染み込んだ独自の食文化だろう。
老舗と呼ばれる岡崎の洋食屋「小宝」や下鴨の「のらくろ」がその代表だ。

そして京都のハンバーグと言えば北大路橋西詰にある「はせがわ」。
ここは洋食定食が有名な店。
またここの姉妹店「山の家はせがわ」にも同じ魂を受け継いだハンバーグがある。

文字通り山の中にあるこの店では携帯電話など無用の長物になる。
周囲360度は山に囲まれた自然100%で食べる京都ハンバーグは絶品。
北大路駅から車で30分ほど北へ山の中。
タクシーなら2000円程度。


時間をかけて行くだけの価値がある。

京都人の胃袋と頭の中-大丸

とある映画プロデューサーが京都で映画の撮影があるため約一年近く京都に滞在したそうです。
一年もの間京都に住んで映画を撮影するので、彼は京都の古い町並みにある町家を借りました。
隣近所は何代も続く旧家ばかり。
東京生まれ東京育ちの彼には新鮮でもあり、判らない事ばかりだったそうです。

一応、隣近所に東京から持ってきた菓子折りを持って挨拶に行き、事情を話したそうです。
一年だけの京都市民、それも標準語の東京人。
すかした表情で受け入れてくれたようには感じれなかったそうでした。

ある朝、起きて撮影現場に向かおうと玄関を出ようとすると、
玄関先にタバコの吸殻がいくつか落ちていたそうです。
彼は几帳面な正確なのでほうきで玄関先を掃いてから仕事に出ました。

そして、また翌朝も同じように・・・。

こういう朝が何日も続いたようでした。

困り果てた彼は、
町家を仲介してくれた古い不動産屋に行き、事情を話しました。


不動産屋は、
「おたく、向こう三軒両隣に挨拶にいかはりましたか?」と言ったそうです。

彼はちゃんと行ったと答えました。

すると不動産屋は、
「何を持っていかはった?」と訊いてきたそうです。

彼は東京の三越で買ったお菓子だと答えると、


「大丸でないとあきまへんで。大丸のんやったら安いタオル一枚でもどうもないのに。」




翌日、言われたとおり大丸でタオルの詰め合わせを買い、もう一度挨拶にまわったそうです。

すると、翌日から何も無かったかのように近所の人々は彼に笑顔で挨拶をし、
玄関先には頼んでもいないのに打ち水がされていたらしいです。




※これは京都のほんの一部の古い町でのお話です。



京都人の胃袋と頭の中-町家

京都人が思っている以上に、京都以外の地域の人々からはミステリアスに思われているようです。
そんな京都人のリアルな食生活や考えていることを公開していきたいと思っています。

このブログによって夢が壊れるかもしれません。
また、このブログによって新しい京都に出会えるかもしれません。

ある意味、一長一短ではありますが、
どうぞ、ご贔屓に。



BAD Professor