原罪に潜んでる感じの愚利己なオマケも捨てたもんじゃねぇな!  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
年はとってもこうはなりたくない  ANTI 世間様の比較常識☂ネタ: 歳とっても ばんそうこう のようなヤツにわ…なりたくねぇな。 それでいいんじゃね? 参加中 
 
 
 うしっと。 
 家族以外は、いま誰が生きようと死のうと 
 俺は俺のまま生きるしかない。 
 そんな贅沢を云ってるヒマもない。  
 誰が生きるにも こんな苛酷な時代に 
 今の自分自身に仕事あるだけ… 
 男として働かせてもらえる場所があるだけ ありがたい。 
 1998年の3月以降は すべてオマケの人生なんだから 
 このままオマケを豪華にしてゆくしかない。 
 
  それでいいだろ。 オマケなんだから。 
 
 箱あけるまでは その中に何が入ってるのか? 
 いつまでも愉しみな状態が 
 たとえ死んでしまうまで ずっと つづいていたとしてもな。 
 そういう人生もアリでいいじゃん!  
 
 
 と、そのように考えてみる。心の底から。 
 これが俺だ。 
 俺そのものは今もまだ 
 ここから一歩も先へ進んでないし、後退もしていない。 
 だけど 日々、一日一日、肉体の中身は利巧になって成長している。 
 その実感を一瞬でも見失ったときが 俺が俺ではない時間。 
 無駄だ。 
 本来の自分自身の在るべき姿を忘れ、怠り、
 誰かが誰かを比較すること以上に 無駄な時間。 
 きっとそれは 音楽やってる人たちの世界なら 
 おい、ベース! なにやってんだよ! 今そこじゃねぇよ!」 とか 
 「あんだよ、そんなんもできねぇわけ? ちゃんとタイミング合わせてくれよな。」 
 って感じの掛け合いがうまくいかず 
 そのとき その瞬間に奏でる音が まるでセンスわるく 
 最初から最期まで どのパートの噛み合いも崩れたままの音… 
 そういう気持ちワルイ状態に似てる…かもしれない。 
    
 それは一人、一個人。自分という肉体と精神のバランスにおいても同様に 
 肉体という一固体でありながら 
 手足や目鼻、耳、口につながるすべての五感が胃心肺肝の乱れも整えるほど 
 臓と腑の関係陰陽五行のまとまり が いつもスッキリしてないと 
 なにごとにおいても自分の望む通りに事は運ばねぇし 
 何をやるにも センス・バランス・タイミングの瞬間が狂ってくる。 
  
  撃てば響く! 
  
 問題はここだ。 
 たとえば、チャーリー・ワッツというヒトがスネアを一発一発きざみ込む瞬間、 
 同時に、キース・リチャーズがGの開放弦やリフの響きを 
 常識的な6弦ではなく5弦で奏でる。
 お互いに合わせようとする意識なんて どこにも ひとつもなく 
 それが呼吸もピッタリあって アタリマエに自然に進行してゆく。
 キース・リチャーズというヒトにとって 何の駆け引きも交換条件もなく 
 そのアタリマエ感が実践的に 限りなくパーフェクトにちかく可能なのは 
 今のところ、この世に2人だけらしい。 もうひとりは、スティーヴ・ジョーダンね。)  
 そういう音の組み合わせが聴く者にとってみても 
 ドラムとギターの区別や 両者の音色の強弱なんてどうでもよくって 
 その組み合わさった音が ひとつのアタリマエの事実として聴こえてくる。 
 機械で合わせたタイミングではなく 
 生身の人間がやってる透き通ったセンスで伝わってくる。 
 ロニー・ウッドのリズムギターとジャガーのヴォーカルは それぞれに 
 その土台石と柱を支える梁や筋交や外壁という、ドリームハウスの構築であり 
 そのエッセンスとの絶妙なバランスが 
 あのグリマー・ツインズ作の音に仕あがってるわけだ。 
 1960年代初頭から今日まで。変ることなく。 
 これが視えることがまず、正真正銘のストーンズファンであり、
 ストーンズ野郎の絶対条件。 
 グレート・グレート・マンネリズム!  その意味。 
    
 なにも The Rolling Stones のメンバーに限らず 
 そういうアタリマエのセンス・バランス・タイミングが 
 生きている日常の自分自身に 
  
  いついかなるときもあるヤツ! 
  
 う~ん、これは今の世の中、非常に少ないとおもう。 
  
 既に 今こうして書いている何行かを繰り返し辿ってみても 
 そういうことに 日常的まったく実感のないヒトには 
 なんのことかチンプンカンプンかもしれない。 わりぃけど。 
 それはそれでいい。 
 産まれ持たされた能力や その役割分担は 
 いま生きている者の数より死んだ者の数のほうが多い仲で 
 すべての人間において異なっている。
 だからそんなことは 一生に一度か2度くらい体験して 
 素晴らしかった! 実に愉しかった! と、それを 
 誰に対して何のイヤミもなく、いつまでも忘れられないヒトもいるし 
 「ちがうよ! そうじゃねぇよ! こないだ演ったじゃん!」 
 てことが そのうち互いに噛みあわなくなって解散したり 
 果敢なくもカネの切れ目が縁の切れ目で薄情に終わっちまっただけの関係だったり 
 あるいは どこぞの夫婦間においても性の不一致ひとつ、
 互いのセンス・バランス・タイミングのスレチガイが激しくなって 
 (たとえそれは最初から判っていたことでも 
 そのうち簡単に離婚しちまう軽いカップルも世の中には大勢いる。 
 そういった人生の勘違いみてぇなもんは 気づいたとき、
 既にその軌道修正がはじまっている!  
    
 なので 妊娠したり出産したり子供を産んで育てたり 
 そういった経験が「今まだない!」という女性が幾人か集まった場所で 
   
   「あの娘の持ってるレスリー・マッコーエンのブロマイドのほうが
    私のより新しい! 悔しいっ! もぉ゛~! なんでぇ゛ーっ?!」
 
   
     とか なに時代だ? 
   
   「ねっ! 今っ! 見たでしょっ! 
    わたし、ポール・スタンレーと目が合っちゃったのっ!」 
   (そしてその隣にいる別の女の子はブスーっとしている様。)
 
   
 などというようなネタミ、ヤッカミ、恨み辛み、その他の足のヒッパリアイやら 
 デシャバリ根性マル出しで悲劇のヒロイン気取る被害妄想の玉イレ合戦...etc.の、 
 そういう、お嬢様になんか文句あんの!タイプのところから 
 いっつまでも抜け出れないまんまでいると 
 ああいったこと に巻き込まれても 
 そのまま喜んで騙された人生で終わる…かもな。 
 もっとも 
  
   天下のブロマイド集めマニア倶楽部!ワタシ一番よ! 
  
 の世界から卒業すりゃぁ別だけど。 
    
 んで、そういうヒトは今はもう、The Rolling Stones の女性ファンには 
 どこにもいない! あの、1970年代に見事にいなくなった。 
 
  ストーンズ野郎のオンナにGLAYのジーンズわ似合わない! 
 
 ただし 小鳥の首チョン斬ってグラスへ注いだ血を口の中へ含んで 
 ステージ上で笑ってたようなジーン・シモンズの姿にシビレてた女性の場合は 
 今もストーンズファンの仲に残ってるかもしれないけど 
 あとは・・・・いないねぇ。 見たことない。 
    
    
  Like A Rolling Stone     Slipping away     All The Way Down     Too Rude   
    
    
    
    
 つーことで、ここまでの内容をロックな感覚で納得できるなら 
 前述したアタリマエのセンス・バランス・タイミング
 意味不明ではなくなってくる! …はずなんだけど? 
  
       どう? 
  
  
  ・・・・俺のオマケ人生のスタート地点。 ここね。 
 
 
 
 
    Thank You!