10年20年前のお値段より今日を生きてる実感てのを味わってみたい! 参加中
なんかさぁ
どうってことねぇんだけど
夜中に どうしてか
アメリカっぽい土くさい音。
聴きたくなるときってあるよな。
俺はねぇ、こういう感じ。
なんつーの。 こぉ・・・・
このあたりが Tetsuya Itami っぽい雰囲気というか
世の中なにを見間違えたのか?
ある日、原宿の街なかを
目尻に皺のあるジャクソン・ブラウンさんが
来日したバンド仲間の2~3人とニコニコした顔で歩いてて
ソフトクリーム喰ってたんだよ。
俺は芝居の仕出の仕事の帰りだったか 中古のCDショップで
JOHNNY MARR 在籍のエレクトロニックの掘り出し盤シングルCD漁っててな。
店を出た目の前にいたんだよ。
もう21世紀になると 誰も気づかないんだ。 (つーか、知らない。)
ただ外国人の観光の方々が歩いてるだけって雰囲気?
でもね。俺は ひと目で判ったよ。
「おおっ!ジャクソン・ブラウンじゃん!」て。
匂いでわかる。 すぐに。
だからねぇ、俺も やっぱ普通じゃねぇんだよな。
ふつうってのわ 凡人とか そこいらへんの一般ぷーぴるってことじゃなく
自分でいうのもなんだけど
音楽ってもんが決してカネ儲けの道具とか
年末年始を乗り越えて人生くいつなぐ生業でも趣味でもなく
人類が発展するためにあるってことを理解してる人間のひとりだっつーことだよ。
そういう人種が今はもう かなり少なくなっちまったんだ。
どうしてか?
よくわかんねぇわけじゃねぇんだけど
日本人のみんながみんな
「あの頃はヨカッタ」って風潮に流されて
あの頃にしたって今にしたって たいして代わらなかった時期も通り越して
今はもう ほとんどのヒトが
“あの頃”より肉体そのものがガタガタで わるい状態。 それは
単に老化現象とか筋肉細胞が衰えるのに平衡して心が歳くって老いぼれてきたってことじゃなくって
はっきし云って知識のメヅマリが多いんだよ。
中身と外見が極度に つりあわない状態。
喰い物も 飲み物も 冷暖房完備で置かれている状況も
かつて人類の持つ肉体が経験したことないほど
腐敗に近い細胞の疲労に中身(心)が追いついていかなくなってきちまってるわけ。
その上、この21世紀の異常気象だ。
今日は日本海側にも雪が降った。
これでまた 自然界は なんとか今まだ人間を生かしておくつもりらしい。
でも約束はない。
今まで通りではないんだ。
先週、仕事が午前中で済んだ日の午後。
家族で山へドライヴしに行ってみた。
見事な紅葉。
すげぇぞ! まるで この世ではないほど
オレンジとか黄色とか紫とか鮮やかな山々。樹木が生まれかわる準備期間。
みなさんにも見せたいくらいに。
ところが 人里にちかい場所で かつて人間が植えたらしき樹木は
マトモな紅葉ではない。
内側から枯れて おかしな状態になってる。
要するに 見た目にも春から夏にかけて新緑だった部分が
いつ秋なのか いつ冬になるのか トンチンカンにも
自然の変化に対応する時期がズレてるばかりか
例年どおりに紅葉時期を迎えたところは昨年までの感覚を覚えていても
新しい部分が生きるために根っこの部分へ負担をかけるから
旧い枝が異様な枯れ方になる。
そのうち根が腐っちまうんだろうな。
一本や二本でなくて あっちこっちの山の麓で そんな感じ。
これは今、全国規模なのか?
樹齢という寿命が長いはずの木々が そんな深刻な状態なんだから
人間なんて落ち着いていられるわけがない。
いくらクスリ呑んでも精神が安定しない者は
その心の暴走を肉体が抑えられなくなってくる。
そのうちイカレタ連中が束になって暴動でも起こすのか?
今日の今日 喰ってくためのカネに困って どこで何しでかすのか?
今はまだ見えない話かも知れないけど そのうちな。
どうしてそうなるのか?
縛りつけ過ぎた結果だ。
「やればできる」として出来ない奴に勘違いさせるほど
人間の生きる世界を破壊した教育。
オンナは男を超えられないし 男は女にはなれない。
なのに男女平等を過剰に押しつけて
どなた様にも 自分がそこにいてふさわしい場所を見失わせてしまったんだ。
階級を失って格好だけ横一列になってみても
人間は産まれながらに中身に備えられた役割がちがうんだから
そんなのが ウワベだけでも いつまでも安定するわっきゃない。
人間の世の中だけじゃねぇよ。
どこだってそうだ。 猿でもニワトリでも草も木も虫も魚も。
んで 「あんときの戦争で あいつはオレにこうした」だの どーのこーのと
それを利用して いつまで経っても一方的に己を正当化したがる連中も
宗教的に考え方が合わないだの
「ここはオレのもんだ」「オマエの持ってるコレよこせ」だのと
資源も領土も限られてるのに
人権保護で膨れあがった人口になっちまっても
譲り合いや思いやりを持とうともしない。
素直に他人の言葉に耳を傾ける余裕もない。
そうやって次の世代も同じようなこと繰り返して
結局は自分を追い詰める人生に明け暮れる。
その上 誰かを悪者にしておかねぇと 自分たちが苦しくなってくるのが不安なのか?
その程度の幼稚な考え方しかないような権力者や財力者が嘘っぽく人間やってるために
それに操られる民衆が ご苦労さんな状態になっちまうわけ。
ネクタイしめてるヒトがみんな悪人に見えてきたりもする奴も出てくる。 (俺じゃねぇよ。)
もう誰も訊いてねぇよ。 そんなの。
せいぜい 「あの頃はヨカッタ」のオッサンとオバハンだけだ。
そのうち爺さん婆さんになると耳も遠くなるから音楽なんて聴きもしない。
演歌? 聴いてねぇだろ。 踊らされて騒いでるだけじゃん。
だいたいにおいて 2~3十年前ほど声にハリのある塩化カシュウムじゃなくって
そういう歌手の方々が今 何人のこってんだ?
伸びない声で喉に無理させて
手足のジェスチャーで歌の拍子を誤魔化してるようなのが多いぜ
するってぇと
テットリバヤコン・テットリバヤコン王子様わ ど~こ?
これらを抑えたり改善するためには まず音楽が重要な役割をもたらす。
しかも まだちゃんと歌えて 発声に色艶の輝きが光っちゃうヒト。
命がけの演奏で目の前にいる者に言葉を失わせるヒト。
簡単にいうと
「おまえもか? オレもそうだよ!」
って気持ちの通いあいからはじまって
「んじゃぁ、こういう感じでいってみようぜ!」
てなわけで 単なる慰めあいに終わらず
演奏するほうも聴く側も一緒になって 今を生きてる実感が確認できる音楽。
その代表がロックなんだけど
別にジャンルなんて どうだっていいんだ。
そうだ! 世の中のCD屋さん!
こんど、店頭のジャンル別けわ
邦楽とか洋楽とかJAZZ、シャンソン、クラシック、POPS、アニメ歌謡、和製ラップ…etc.
というのは もうよして
「こちらのコーナーは生きてる音楽」
「こっちわ死んでる音楽」
「ここわ、生きてるようで誤魔化してる音楽」
てな感じで ワカリヤスク簡単に わけてくれ。
でないと 試聴できても機械処理に騙されて みんなの意識がスッキリしない。
見分け方としてわだな・・・・
そのうち飽きる音。 こりゃダメだ。 確実に。 生きてない。
何回も聴きたくなるような音楽。
何回も観たいと想える映画。
それが生きてる証拠だよ。
う~ん。今日はワカリヤスイな。いつもより。