天国じゃないところからの手紙  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

日本一を誇るブログサービス会社が提供してきたネタ:初恋の相手は? 参加中

     
    
    ん? 初恋? 
    
    
…いや、俺じゃぁないんだけどね。ちょっと、おもいあたる節あって… 
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    前略 太陽の子供 様 
    
日頃、サイト では
様々に素晴らしい楽曲を聴かせていただき、ほんとうにありがとうございます。 
おそらく、哲也さんの歌がなければ、今日の自分はいなかったと 
近頃は心の底から、その事実を実感しております。
今日まで生きていてよかった。
いくつかの曲を今その瞬間に耳にするたび  
嘘いつわりなく、その気持ちが たかまるばかりの毎日です。 
    
今日は、ひとつ提案あって、こうして個人的に綴っているわけですが 
知っての通り、やはり自分は普通のファンではなく、特殊で異質なので 
この内容はBBS には載せずに 
堂々と、自分の思い通りに書ける、この場所へ記します。
失礼なことも書いてしまうかも知れませんが 
今の自分の正直な気持ちです。 
    
プロのミュージシャンとして、独自の配給レーベルも開設されており、
そのオフィシャル・サイト俺のたわ言改め太陽の子供ページ に昨日(2008年1月24日更新分)
歌一筋、他に才能はない。ただ自分の音楽は芸術性が高すぎて大衆化は無理だ。 
という言葉がありました。また、昨年の4月1日にお逢いしたときには 
「けっきょく俺は80年代ではなく、70年代の人間なんだ」
「…日本に生れたのが間違いだったな」
 
などという発言があったことも覚えています。
そして、今年の正月には一度に12曲もの、新たなる扉をあけた透きとおった楽曲を発表され 
その直後になんかムラムラする…の書き出しで、再びLIVE活動の模索や構想が 
ご自身の頭の中に浮かんでしまう心の奥底を 
伊丹哲也という人物の過去を知らないまでも、今の伊丹哲也のファンとして察しております。
大衆文化や体制側、世間一般的にメジャーとされる多くのミュージシャンであるなら 
新作CDを出すと、そのセールスの善しあしに関係なくも、ツアーやライヴを遂行したり 
新曲の一曲にかける興行の世界、数字を追い回す業界の常識の中では 
プロモーション・ビデオを市場へ送り出したりと、
そういうことが果たして 
音楽でメシを喰っていく者にとっては当たり前なのかどうかという疑問や愚問などとは別に 
普通は、そういうものなのかも知れません。
ある意味それが、ミュージシャンとして自然な姿なのかも知れない。 …数々の歴史的にも。) 
ときどき、
「俺にカネの余裕あったなら、この島へ、数千人の客と一緒に
 伊丹哲也を呼んで 
 毎年、鼓動の夏のステージを凌ぐほどのLIVE!
 やってやるんだけどなぁ…」
 
とか、アホなことを考えたりもします。 カネより信頼はあるのか?) 
    
4月1日の夜、哲也さんの運転するクルマの助手席にいた自分は 
様々な意味を込めて
「まだ東京にいるつもりですか?」 訂正 「東京から出る予定とかはないんですか?」 
という質問をしました。その応えのいくつか、断片的ですが
「…そんなこんなで大阪にいた時より長くなっちまったけど。」とか 
「自分の歌で食っていけるのが一番なのかも知れないけど。」という言葉もありました。
そこには、
2003年の蟻と虹地平線の彼方 ではストレートすぎるほど、叫ぶ向こうに答えを探し 
ヤスハズクーリラ という曲で 
抱き寄せるのは その身体じゃない 失くした夢のひとかけら /
  Yes has, cooling up too much turn really lady 願いが叶うなら 
   今もう一度、今この道を この人と
 
と、歌われた2004年につづき、
2005年秋山河の如く での、風に舞いあがることへ決意。
2006年に獲り戻したフィーリングも、そのかつて を超えた時代は変わるよ
そして再び、2004年作の再生 のアップロード。
2007年の流木。 女とトンガリブーツ  
更には、a love letter from the Heaven の悟り。 
それら一連の楽曲に込められた想いが、
ただひたすらに歌いづづけた日々。音楽を愛する男の情熱、希望・・・・ 
言葉では語り尽くせないモノがある事実を小さなファンとして理解しているつもりです。 
他のファンのことは知りません。1981年のデヴュー当時は知っていても 
1990年代の世紀末に生きた伊丹哲也は知りません。 出遅れてすみません。) 
俺は今の伊丹哲也のファンです。 
流行り廃りも聞き流しも、今これほどまでに有象無象に
「ここいらでいっちょ、ひと儲け」などの風潮に乗せられた人達の歌謡【うた】が溢れかえる世の中では 
先に挙げた曲ばかりか、それらの楽曲に出てくる歌詞の
愛しい人という部分を
ある独りの男が愛した音楽ということに置き換えて聴く者は
非常に少ないかも知れない。残念ながら。
それでも、昨年の4月1日までの定期LIVEのチケット代は、安すぎます! 
3,000円? ドリンク代込みで¥3,500? あの地下牢で10年も? ごめんなさい。) 
それは嘘でしょう。 
いや、この話は既にもう、ご自身の中で決着ついた部分のひとつ かも知れませんが 
これほどまでに才能がありながら、
どうしてそんなに自分を安売りしてきたのか? 
10倍にしてください。一人、3万円。
しかもそれが、一日一回限り有効の命です。 
俺は家族3人で行くので、たとえ、年に一回のLIVE!でも、9万円。払います。 
…あ、息子は子供なので半額でもいいで…セコイ。) 
なぜなら、伊丹哲也のLIVE!なので。 
こんなところで、いきなり お金の話もヘンかもしれませんが、 …変ですねやっぱり。) 
そういうことです。 
今はもう、本当に聴きたいファンしか残っていない。そして 
今年の正月、やはり太陽の子供に書かれた内容に 
色んな事を2007年に吹っ切り、また色々考えたよ。昔の事なんかも思い出したりした。
 50才と言うひとつの節目である。これからまた長いようで短いだろう人生の最終コーナーを曲がってゆく。
 俺にとって歌とは何なのか?それがはっきりするだろう。間違ってもただの趣味じゃないのは確かだ。
 ただの通り雨にしちゃ長すぎるぜ。

ということを書かれていました。
雨降り? 土砂ぶりなのか、穏やかな春雨なのか? 
そんなことはどうだっていいんです。 
ファンの人生にとっては哲也さんのLIVE!
時には、雨あがりの空に見る虹であったり、
今日を生きる心の支えになる一本の傘だったんです。 バンソウコウの傘は、ときどき破れたりしてましたが。) 
哲也さんは決して、昨日まで、その傘を安値で叩き売ってきたわけではなくても 
傘もなく雨の中で歌う本人でしかないので、他人の傘の価値が視えなかったのではないでしょうか。 
一本3万円の傘。 (それでも安い!) 
どこにも売ってない。 
買う人は買います。今なら きっと。 
一回のLIVE!に、両者が10回分のエネルギーを注げばいいだけです。 殺す気か! 
思い出は想い出の歌であっても 
新曲や未発表曲の数百の中から、
ブルースも歌えるバラードも光らせられる
バンドを従えてもオール・ジャンルでイケル! It's all right!  
Tetsuya Itami は今や、揺るぎないひとつのジャンルとして 
数千、数万のアイデアやひらめきの中から、フラミンゴのトップ12曲ほか
あのような、何の駆け引きもなく純粋な楽曲をつくる能力も 
今だからこそ、つくって、つくり直して、納得いくまで歌うことができる。 
そんな、どこまでも果てしなく昇ってゆくアーティストは 
今の日本人にはいません。見たこともない。お世辞ではなく。) 
ところが、今そこに、この時代に、この日本の東京の片隅に 
いるではないか! 
俺は、今の伊丹哲也になら、その傘の代金、払えます。正々堂々と、自分で稼いだカネで。
    
ファンに媚びたりはしない。アンダーグラウンドには属さない。操り人形にもなりはしない。
本物なら本物のファンに、傘を売ってください。 
いや、スグにとは云いません。 日々、昂ぶる気持ちを煽っているわけではありません。) 
明日ではなく、一年後でも、3年後でも、10年先でも、その気になったときに 
「井上さんも傘がないの? えっ? 量産品のビニール傘? ハリケーンで壊れちゃうの?」 
てな感じでやってください。 
    
これは、業界の誰かが肩を叩いた言葉や励ましではありません。
革命です。常識の覆し。自由への旅の軌道修正。人類の解放。
馬鹿ですが、アホですが、一人のファンによる無謀な提案です。
「ホンモノは目立たないところで風に吹かれていればいい」 
それは昨日までのカッコつけた連中の絵に描いた餅です。
どこかの謡の中に出てくるお月さまに、未だに餅をつく兎がいると想ってる人たち。 
ボブ・ディランの枯れた喉では、もし餅を喰っても ひっかかってしまうような今日、
哲也さんの待っていたかぐや姫は、哲也さんのいた竹薮にはいません。 
あの竹薮は80年代の雨後に、どんどん険しくなったかも知れませんが 
今はもう、ご承知の通り、竹の子一本すら生えてない。 
自分のお目当てのアーティストのCDを簡単に買うこともできて 
好きな曲をパソコンやケータイ・プレーヤーにダウンロードできる流行の楽しみもあり 
カラオケやノド自慢大会では、今の自分が謡いたい歌を自由に唄うことが許される恵まれた時代、
おそらく、サイトに訪れて全曲フルトラックの無料試聴を
日々、楽しんでおられる方々の中には 
その日のために、毎日すこしづつ貯金箱に小銭を入れるファンもいると思います。 たぶん。) 
その人たちも、タダより高いモノはない現実を思い知ればいいのです。 
    
勝手な言い分ばかりを並べてしまいましたが 
俺は、それまでの間、そういう気持ちがわかるファンを 
このインターネットを通して拡張してゆきます。必ず。
ここは、いつか…
来るはずもない初恋の彼女を待ちつづけた、あの黄昏のカフェの厨房です。 
巷のようなレジカウンターもないネットカフェですが、年中無休!ときどきメンテナンスで不通もある。) 
彼女と飲み明かす酒は飲み放題! …の、予定。) 
鋭く研いだ包丁やナイフはありませんが、流行り廃りは どうにでも料理できます。 
    
誰か一人の傘が、翌年には千人にゆきわたりますように! 
本気です! ちなみに、この話は妻も息子も道連れに…同意しております。) 
    
折紙で 千羽フラミンゴじゃダメ! ♪俺の中でぇ~ 
    
    
    
    
以上、ここまでの内容、無礼な発言の数々、関係者のみなさま、どうかお許しください。 
額のバンソウコウ。実は、頭が故障中のために貼っております
 
    
    
    
    
    
    
    
    tetsuya itami 20070401  ☚ クリックで拡大。 
    
     注意  むーみん谷のスナフキンさんでわない 
    
    
    
    
    
    
    
    ti2008sunkingLOGO  ☚ 2008年 風の中の12曲。