サイト発掘! シンプルな命の更新。 2006年7月 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
ちゅうことで、ワケが判らんテーマのように聞えるかも知れないけど
以前からやりたいと思ってたし、
以前にも少しやりかけてた内容だったんだ。
今の俺なら、いくぶん精神状態も安定してるので (?)
このコーナーをやって行けるかも知れない。
んで、何をやるかというと、
俺がネットを徘徊して
「おお、これは素朴でシンプル! 面白いじゃん!」
と思った他人のサイトやウェブログを
ここで勝手に紹介する。
「そんなことされては迷惑だぁ!!」
という人もいるかも知れないけど、
俺の場合はアメブロのトップ画面の
“ピックアップ”とか“注目のブログ”とはちがう。
おかげさまで、この“Mind Resolve”も無事に(?)一年を更新して
自分でも信じられないくらいだけど、アメーバ内の読者も100人を超えて
俺の推測では、日に800人くらいの決った人が
なんらかの形で、ここを覗いてくれている…と思う。
その方々が今まだ知らない、ネット上の逸材、きらめく燻し銀の数々を
俺が独自の観点から発掘して紹介することで
色々な人の交流の幅を広げよう・・・・というコンタン。
まぁ、俺が勝手にやるんだから、乗り気でない人は
遠くの方から見物していてくれ。
   
   
とくに「生きる」ということをテーマ、柱としている俺の各ページには、
意味不明のチンプンカンプンに思えるような内容もあると思うけど
根底には、何事も絶対に投げ出さない、諦めないという気持ちがある。
正確には、誰もが勝手に生きているわけでなく、
どんな者であっても生かされているので、
その辺の定義みてぇなもんは難しい話に感じる人もいるかも知れないけど
人間そのもの、素のまま生【き】のままで
シンプルであることが簡単なようで、何より難しい…ということの追究がある。
ある日、今の自分自身では到底のり越えられそうもない問題にぶつかったとき、
その人はきっと、今までの自分が持っていた力以上の、
自分でも知らなかった力を発揮して、
目の前の問題に対処しようとしてゆく。立ち向かってゆく。
自分自身の限界も何者も気にすることなく、なりふり構わず、
自分以外の者のために、問題に取り組み、それに尽くそうとする。
それは決して、努力ではないし、仕方なくやることでもない。
生きる、生きようとするエネルギーで、生きつづけてゆく力。
たとえ、「こんなの無駄じゃん。何の意味がある」って思えたとしても、
それが必ず自分のためになる日が来る。
「あの時こうやっときゃぁよかった」と思ってしまう人ほど
自分のことしか考えてないんだ。
それとは逆に、
「オレってのは、こういうふうにバカなんだよ」ってことを素直に云える人は
何があっても絶対に倒れない。そしてそれは男女に関係ない。
「おれはバカだよ」といえる人ほど、生きることに真剣さがある。
そういう意味でのシンプル。
黒人音楽にもあるでしょ、そういうのが。
「オレにはこれしかできない。オレはそういうバカなんだよ…」っていう心がな。
俺の憧れだ。
   
まず、俺という人間。南まさあき には、そういう部分が足りない。
ないに等しい。
何事においても自分勝手きわまりないし、
「他人のために何かをした」という心の底からの実感は、まだ一度もない。
自分以外の人間がどう思っていようと、俺にはない。愛がない。
哀しいけど、俺の中に長年の間、
自分の人生を投げ出したヤツの根性が居座っていた限りは、どうしようもない。
つまり、“和マサ”だ。
それについては、7月5日のページにいろいろと並べてきたけど、
   
http://ameblo.jp/badlife/entry-10014390773.html
決して、目に見えない世界の愚か者の所為にして終わるつもりはない。
生きることに終わりはないんだ。自分が死んでも次がある。
どんなにいい加減なことをやってしまう人も、
たとえそれが誰か何者かに操られているように感じたとしても、
やっているのは自分だ。
すべてにおいて、この現実の世界に肉体を持って生きている本人でしかない。
誰かの何かの所為にして逃げてしまえば、それほどつまらないことはない。
卑怯で、卑劣で、薄情な人間になっちまう。
俺はずっと長い間、そういう人間だった。
人の形はしているものの、汚物の中でうごめく蛆虫以下だ。誰も寄りつかない。
そんなヤツの話なんて誰も聞かないし、何か書いてみたところで読みもしないだろう。
そういう意味では、俺の中から生まれるモノは何もない。
   
このサイトは、アメーバのテンプレートはグレーを使ってるんだけど
普通のアメーバ・ブログとはちがう雰囲気になるように
CSSをカスタマイズして風変わりなウェブログにしてしまっている。
そのうち怒られるかどうかは知らんが、
このブログのいちばん下には、アメーバのテキスト広告もない。
内容が内容なので、できる限り見た目だけでもシンプルに拘りたいワケ。
   
って、そういう考え方そのものが、どうかしちまってる。
どこかに自分を飾って、何かを隠すように自分から逃げようとするコ汚い根性がある。
そんなヤツが巷のスパム行為を批判することなんてのが
そもそもの間違いだし、連中以下にも及ばないほどの最低のクズだ。
でも生きている。生きなければならないし、
俺が生かされているという実感を自分で感じ取れるようになるまでは
簡単には死ねない。
   
んで、努力でもなんでもなく、そういう愚か者とはまったく正反対の正直な人が
世の中にはいる。
何も飾らない。飾るものも持ってない。
スゲェ、シンプルな人間。
自由だし、頭の中に余分な知識がないから、常に真っ白なまま、
透き通ったままの自分でいられる。
幸い俺は、この40年間に、そういう人と、幾人か巡り合うことができた。
とくにこの一年、アメーバブログを通して交流させてもらってきた中に、
そういう人が何人もいた。
それまでの俺は、もうこの世には、そんな人はいないと思って生きてきた。
ところが、いるじゃないか。いたじゃねぇかよ。
ローンで買ったパソコンかも知れねぇけど、
それを電話回線に繋いでみたら、あったよ。探し求めていたものが。
「まさか?」と思って、マウスをクリックしてみると、驚いたぜ。
自分の心の中身を正直に文字に表わしている人が大勢いた。
これにはまいった。
俺はマヌケだ。
つい昨日まで、数年前までは、
ネットの中身はぜんぶクズで、嘘しかないと思い込んでた。
仕事や趣味でメールのやりとりをしても、
そんなのはうわべだけの付き合いでしかないと思ってた。
電車に乗ってるときと同じだ。
誰も笑わないし、列車の窓の景色が移り変わることに興奮する人もいない。
しかも俺が乗っていたのはもっと酷い。
無人の地下鉄だ。(運転士は別として)
俺は都内にいた5年間、すべての地下鉄路線を暗記して
家と撮影現場を何百回も行ったり来たりしてた。
ほとんどが深夜か早朝の地下鉄だ。
車内のどこを見渡しても、俺のほかに乗客は誰もいない。
天井から、どうでもいい広告がばらさがってるだけだ。
あとは人の気配がない。
そんな車両に乗る日が毎日のように続いていた。
昼も夜も、俺がどう生きようと俺の自由なので
俺が一歩 踏み外れて命を投げ出してしまっても
俺が死んだ瞬間なんて誰も知らないし、誰にも関係ない。
あの列車に乗っていたときの俺は、いつもそういう気分だった。
もちろん、一日のうちに昼の電車に乗ることもあれば、
朝夕のラッシュに揉まれて改札を抜けることもあった。
でもそこに行き来する人たちの多くは、
深夜の誰もいない地下鉄を利用することなんてめったにない。
地上に出たときはほっとするぜ。
「こいつ、まだ生きてるよ…」って感覚だ。
そうだ、生きてる、生かされてるんだ。自分では死ねない。
「死ぬ」なんて言葉を知ってること自体が間違いなんだ。
生きるしかない。生きて、自分が何者なのかを見届けるまで生きなければならない。
   
哲也さん、俺はそうやって自分と闘って、今もまだそうしてますよ。
俺もおんなじでしたよ。何も変わらなかった。
夢も希望も、自分で捨てたわけじゃないのに、どうにもならなかった。
同じ時代の日本人でもあり…。
ただ、ちょっとちがうのは、哲也さんには歌がある。
俺には何もない。何もないけど、あなたの歌を「聴く」ということがありました。
   
実は先日、伊丹哲也さんの別のファンの方からメールをもらった。
まだ返事を書いてない。
また、さっき確認して気づいたんだけど、
ドラムの assimilate さんからもメールが届いてた。
お二人とも、哲也さんにとってはかけがえのない存在だ。
その人たちの心をどう受け止めるべきか、
俺のような人間がどうしていいか判らない。
   
「ありのままでいい」というなら、このままかも知れない。
でも俺には、このままで終わることが、まだ納得できない部分が多い。多すぎる。
年を重ねるごとに、日を追うごとに課題は増えてゆく。
   
そんな中で、自分を現実の世界へ繋ぎ止めておく何かが必要だった。
その一つが酒づくりでもあり、
その仕事の収入で、細々とでも家族を養うことであり、
また、ネットを徘徊して、飾らずに心を開く人の姿に触れる瞬間でもあった。
   
なんか話が長くなっちまったけど、
そういう意味で、
昨日、この人のサイトに巡り逢った。
   
   
http://ameblo.jp/aoitori3-kawaii/

   
こんなところでいきなり紹介すると
ご本人は驚きのあまり卒倒してしまうかも知れない。
あるいは、嫌われてしまうかも知れない。
でも、俺は感動したぜ。
名前も知らない。顔も知らない。
でも、自分自身の今を正直に語る。
何も隠さずに見せてしまう。打ち明けてしまう。
好きなものは好きと云える心。
嫌なことは嫌だよとはっきりと断れる姿勢。
そしてその裏側には
「あんたはどうなんだよ」
という凄みさえある。
ある意味、恐ろしい人なんだ。(今の俺にとってはな
ご本人は、そんなふうに思ってはいないかも知れない。
云い方はわるいかも知れないけど、
他にどうしようもない。
しかも、読者登録はゼロだ。 いまのところは
誰に読ませようとして書いているわけでもないし、(ここが大事だ
ただ自分で思いついたことや
気になったことを綴っているだけでしかない。
ところが、そのシンプルさこそが、
自然に、素直な気持ちで、正直に、
相手に愛情を伝えられる力でもある。(おそらく
たぶん俺よりも若い年齢の男性で
息子さんもおられるようなので、  
きっと奥さんもいるんだと思う。       反対だったね。すまん。 07月09日(日) 20時29分
幸せ者だ。
そんな人と一緒にいられることは
誰にでもできることではない。
   
そして俺は思った。
もしもこんな凄い人がほかにもいて、
アメーバの120万の登録件数の中に
何人もいてしまったなら、
俺はどうして、何を書けばいいのか? 
   
たとえば、梅職人さんのページの中で
俺が気に入ったのは、
   
http://ameblo.jp/aoitori3-kawaii/entry-10014285356.html
   
                 ここです。
                                             mikanseijin06
「おまえはミカン星人として地球へ堕ちてきたんだな!」
と云いたくなるほどの内容だけど
このページには今の梅職人さんのすべてが凝縮されているようで、
文章の構成にしてもパーフェクトに近い。
かつてこれほどまでにシンプルで、かつ、端的で判りやすく
起承転結の整ったブログの記事は見たことがない。(俺はな
おそらく、書いたご本人は、
自分が好きな物を並べて伝えたかっただけなので
どこがどう凄いのか、
何がどのように奥深いものなのか、
自分では判らないかも知れないけど、
たとえばこれを
遠藤憲一 さんという役者が朗読したときにどうなるのか?
あの人の、“声の俳優”としてのナレーションの仕事を知っている人なら
想像してみてほしい。
あの役者さんは、抹消線で云い替えている文面の言葉さえも
絶妙な間をおいて、書いた人の心を表現してしまうに違いない。
そんなのを聴いた日には、
島崎藤村の詩の朗読なんて、アダタラ山へぶっ飛んじまうぜ。
文字の並べ方や色使い、改行がどうあれ、
優れた随筆というものは、こういうもののことを云う。 と思う
プロの作家にもできない業だ。
なぜなら、すべてにおいて飾らない真実でしかないからな。
   
   
   
ちゅうことで、
今日はマエオキの方が長くなっちまったけど、
今後も俺はぞくぞくと、
人間の心の素直さ、シンプルな命の更新を紹介させてもらいます。 (もうちょと短めにな