題名のない楽譜 ~ あたたかいスープ
丘へ向かう一本の道に一匹のフクロオオカミが歩いていました。
彼の住む森で、彼はちょっとだけ有名なトランペッターでした。
その日、トランペットとコルネット、その二本が入ったケースと、たくさんの楽譜を持って、
彼は自分が練習する場所に向かっていました。
フクロオオカミが上手に一本の道を歩いていると、行く手に何枚かの楽譜が落ちていました。
彼は、楽譜の一枚一枚を拾い集め、順番通りに並べると、
さっそく自分のトランペットの音色に変えてみました。
するとそれは、今までに誰も耳にしたことのない、何とも素晴らしい曲でした。
ラッパ吹きの彼は、それが誰の作った何という曲の楽譜なのか、
一章節目の楽譜の隅々を見てみました。
ところが、五線譜に刻まれた音符以外、何も書いてありません。
そして他のどの楽譜を見ても、作者の名はおろか、曲名すらありませんでした。
ただ、それが作曲された日なのか、最後の楽譜の脇に、小さく日付が記されていました。
彼は演奏の上手なトランペッターでしたが自分で作曲することが苦手でした。
演奏するのはいつも他の者が作った曲で、そしていつも、この先の丘の上で練習していたのです。
「…これは神様が俺に下さったに違いない、きっとそうだ!」
そう云って彼は、その素晴らしい曲が書かれた楽譜に
自分の名前をサインしてしまいました。
「題名は『丘へ向かう道』としよう!」
そうしてその日、陽が沈み、夜空に輝く白い月が森を蒼く染めるまでの間、
フクロオオカミは、その楽譜を完全に自分のものにするため、
いつもの丘の、いつもの杉の切株の上で練習しました。
数日後、彼は、森のジャズクラブでの演奏会に出演した時、
アンコールにその曲を演奏しました。
満月の夜の静かな森のひととき、聴衆の誰もが息を呑み、
曲が終わると同時に一斉に凄まじく喝采した拍手は
演奏された曲の一貫となっているようでした。
そしてその瞬間から一夜にして、森で彼のことを知らない者は誰もいないくらい、
彼はそれまで以上にとても有名になりました。
翌日は、朝から、家の外へ新聞を取りに出る暇もなく、
彼の小さな家は友達や知人でいっぱいになりました。
勿論、新聞の一面には、彼のことが大きく載っていました。
その賑わいだ中にはレコード会社のオーナーであるイグアナの姿もありました。
無論、彼は、フクロオオカミの演奏をレコードに吹き込ませるためにやってきたのでした。
「昨夜のあなたが演奏なされた、あの素晴らしい曲を是非、
我社の制作でレコードにしましょう!」
名トランペッターはイグアナの話を一言で引き受けると、
昼にもならないうちから、トランペットのケースを抱え、サングラスをかけ、
レコード会社の音楽スタジオへ出掛けて行きました。
“イグアナ・レコード”という会社の録音スタジオは、高波が打ち寄せる海岸の岩場にありました。
トランペッターのフクロオオカミは、そこで三日未晩の間、自分の思うがままに演奏し、
名曲『丘へ向かう道』のスタジオ録音を済ませました。
そしてその間、イグアナは、森中を歩き回り、樹木や洞窟のあちこちに
宣伝用のポスターを貼りました。
そして、次の週から売りに出された彼等のレコードが、
その後、何千、何百万枚と売れたことは云うまでもありません。
やがて、フクロオオカミは新しい家も建て、新品の赤いスポーツカーも買いました。
もう歩いて丘へ行かなくてもいいですし、それどころか丘まで行って練習する必要もありません。
そして彼の新しい大きな家では毎晩のようにパーティで友達がいっぱいでした。
こうして、丘へ向かう道で、ある楽譜を拾い、
それを演奏してとても有名になったトランペッター、フクロオオカミの暮らしは、
それまでたった独り、ひっそりとしていたことが嘘のように、
とても華やかで豊かなものになりました。
そんなある日、彼の新しい家の大きな郵便受けに一通の手紙が届いていました。
フクロオオカミは、それがいつものように自分に宛てられたファンレターだと思い、
浮かれながら封を切って、さっそく手紙を読み始めました。
するとそこにはこうありました。
『はじめまして、フクロオオカミさん。
突然ですが、あの曲は本当にあなたが作ったものなのでしょうか?
もしもそうではなく、どこかで拾った楽譜をお持ちであるなら、
どうか、その楽譜は私に返して下さい。
どこかへ落とした私も悪いことは承知ですが、
実は私の誕生日のお祝いに彼が私のために何日もかけて作ってくれた、
とても大切な楽譜なのです。
今まで黙っていましたが、あなたの演奏の腕も認められ、
レコードもたくさん売れて、とても有名になって、これほどまでになったあなたの暮らしです。
そろそろ楽譜を返して下さっても差し支えはないでしょう。
勿論、このことは誰にも告げませんから…』 と。
それは、彼の友人で、あの丘の近くに住んでいたチェリストのカンガルー。
その恋人から送られた手紙でした。
それを読んだフクロオオカミは、とても悪いことをしたと胸を痛めました。
そしてその時、音楽仲間のカンガルーが、自分の作った曲の楽譜には
サインも入れられないほどの恥かしがり屋であることも想い出しました。
その夜、名トランペッターは、チェリストの家を尋ねました。
彼はそこで、温かいスープを御馳走になりました。
それはそれは今までに味わったことのない、なんとも云えない美味しさでした。
フクロオオカミは、その温かいスープを味わいながら、
カンガルーの小さな家の中を見回しました。
そこには、以前、しがないクラブのトランペッターだった頃の自分と同じように、
決して裕福でない、ほそぼそとしたチェリストの暮らしがありました。
フクロオオカミは、ひとつ溜め息をつきました。
あの日、丘へ向かう道で、カンガルーの楽譜を拾ってから、
これまで自分のやってきたことを想うと、チェリストの彼がとても気の毒に思えてなりませんでした。
「どうしたんだい?」
元気のないフクロオオカミを見たカンガルーが云いました。すると、
「君は今でも俺の友達かい?」
フクロオオカミは友人に尋ねました。
「いきなりどうしたんだよ、当たり前だろ。いつも一緒にクラブで演奏してた仲じゃないか。
まぁ、今となっては君もかなり忙しいだろうから、こうして会うことも以前のようにはいかないけど。
それでも君がどんなに忙しくなって、滅多に会えないほど有名になっても、
君はいつまでも僕の友達さ。そうだろ。
…それより、スープは旨いかい?」
「ああ、とても美味しいよ」
フクロオオカミはカンガルーの言葉に涙ぐんで応え、そしてまた尋ねました。
「これは誰が作ったんだい?」
「僕の母さんだよ」
恥かしがり屋のカンガルーは、そらを向いて云いました。
フクロオオカミは、それがカンガルーの恋人が作ったスープだと悟りました。そして云いました。
「君は俺が初めてあの曲を演奏した夜のことを覚えているかい?」
「ああ、アンコールの時だね。よく覚えてるさ。
あれほどの素晴らしい名演奏はどこの森でも めったにないだろうな」
「あの時、君も一緒にステージの上にいて、一緒に楽屋に戻りながら、
どうして直ぐに自分が作った曲だと云わなかったのさ!?」
フクロオオカミの突然の言葉にカンガルーは驚いた様子でしたが、黙っていました。
そして、部屋の片隅に立て掛けてあった自分のチェロを弾き始めました。
フクロオオカミも黙ってしまい、しばらくチェロの調べを聴いていましたが、
もう一度、そのことを彼に問い掛けました。すると、チェリストは手を止めて云いました。
「僕たちは音楽と、それを演奏することを糧とした芸術家だ。
そして以前の君もそうだったように、芸術家であれば、たくさんの名声を馳せて
多くの者に認められるまで、たいてい貧乏なものだ。
…しかもそれは死んだ後になっても、そうなれる保証はない。
僕だって優雅な暮らしをしてみたいと思うこともある。
だけどそれを手に入れるための技量と才能を兼ね備えた奴なんて、わずかなものさ。
みんながなれるわけじゃない。初めから決まっててね。
…確かにあの曲は僕が作ったものだよ。だけど僕は君みたいに巧く演奏できない。
今のを聴いてみて判るだろう。
…あの夜、アンコールで、仮に僕があの曲を演奏していたとしても
君のようには行かなかったよ。
自分の作った曲を大勢の前でご披露するなんて、とても怖いし、
それに僕のことだ、きっと途中でつっかえて聴けたもんじゃなかったさ。
君だからこそ、あの曲を完璧にこなせたのさ。
今の僕はそれだけで充分だよ」
それを聞いたフクロオオカミは、うつむいたまま、
おなかの袋に入れてあった楽譜をテーブルのスープ皿の横へ置くと、
御馳走様の一言を言い残し、出て行きました。
翌日、フクロオオカミは森から姿を消していました。
彼がどこへ行ったのかは誰も知りませんでした。
それでも、その後も彼のレコードは何千枚も売れ続けました。
それからまもなく、カンガルーは、森の教会で結婚式を挙げました。
そのとき彼は、自分のチェロで、有名なトランペッターの名曲
『丘へ向かう道』を初めてみんなの前で演奏しました。
勿論それは、親愛なる花嫁に捧げるためです。
その日、幸せなカンガルーの家の、小さな郵便受けに
一通の手紙が届いていました。
そこには、あの夜、フクロオオカミがカンガルーに返したものと同じ音符の並べ方で
書かれた楽譜がありました。しかもそれは、ビッグバンドで演奏ができるように
素晴らしいアレンジが成されていました。
そして、その楽譜の題名は、
『丘へ向かう道』ではなく、
『あたたかいスープ』と、なっていました。
お わ り
解説
満月の夜に丘の上で吠える狼と、
広い高原に生きながらも落着きのないカンガルーを儀人化したこの寓話は、
「自然界に生を受けた者には、それぞれに創られ方の違った職責・職能がある」
ということを表している。
しかも今日、人間の教育や経済の追求により、その階級と統率が破壊されたことを
20世紀にオーストラリアで絶滅したフクロオオカミを持ち出すことで諷刺している。
しかしながら、作者、南 大空は、郵袋類のカンガルーとフクロオオカミの友情を
どうして楽器を演奏する音楽家として描いたのか。
以下のコメント欄にて問い合わせてみたい人は、どうぞ。
なお、この内容は、2002年2月に出版された書籍『BAD LIFE 』で既に公開済み。
花咲か爺さんの隣に住むヨクバリジイサンが、
泉の畔でいくら錆びた鉄斧を水の中へ投げ入れても、
そこからは金のエンゼルも銀のエンゼルも出てこない。
モリナガ・グリコ事件の狐目の男は、あなたの知らない処で笑っている。
この物語の続き について http://ameblo.jp/badlife/entry-10014997877.html July 23, 2006
☞ http://ameblo.jp/badlife/entry-10015068874.html July 25, 2006
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詳しくは、こちらまで・・・
http://ameblo.jp/badlife/entry-10003705667.html
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