2013年の1月以来の長崎街道歩きを、先日再開いたしました。
まあ記事は誰も見ていなくても、最後まで長崎まで歩き切りたいし、ちゃんとまとめておきたいと思っていましたので、こうして再開できて本当に嬉しいです。
早速今回のルート
筑豊本線の天道駅から再開し、同じ筑豊本線の筑前内野駅まで、およそ10kmほどの距離です。
街道は微妙に筑豊本線を交差しながら、比較的平坦な道を南下していきます。
天道駅は小さく無人ですが、この先の桂川(けいせん)駅までは電化されていて、ICカードが使える改札機や自動券売機まで設置されていて便利です。
天道駅前から歩き始めてすぐ、天道神社がみえてきました。
ここは、前回の記事(長崎街道その17)でご紹介した大将陣山での戦いで、藤原純友を破った源満仲が作ったと言われています。ということは平安時代後期ってことになりますね。(藤原純友の乱鎮圧については、源満仲が関わった史実が確認できず、神社や大将陣山での由来と矛盾していますが、まだよくわからないままです)
どうやら、おさい銭泥棒が出たみたいですね。飛んだ不届きものもいるものですが、確かにここまでしっかりしていれば、安心かもしれません。
白壁の古い建物や、酒蔵のレンガの煙突など、街道沿いというだけで風情のあるものが残っている不思議を感じながら歩くと、
瀬戸という地名がある交差点へと出てきました。穂波川が道路の下を流れています。
ここは現在便利な橋がかかっていますが、川を超えずに左折していきます。
すると、当時の穂波川を越える渡しの場所へと出て来ました。
説明文にあるとおり歩いて渡ったようで、歩くのに適した場所だったのでしょうか。
説明文から少し先に進んで川の方に行くと、瀬戸の渡しがあった場所へと出て来ました。残念ながら藪が深く川の様子を撮影することができませんでした。
その瀬戸の渡し近くのお休み処が、川庄屋という名前だったそうで、その場所に新しい石碑が置かれています。
瀬戸の渡しを過ぎて、大きな通りを抜けたあたりから、筑豊本線沿いを歩いていきます。ここからは長崎街道は鉄道路線とランデブーするかのように、何度も踏切を越えながらジグザグと通り抜けていきます。
小さなお社をもつ天開稲荷神社。大変急な階段ですが、やはり寄り道しちゃいました。
こういう場所を見ると、階段好きじゃなくてもアトラクションのように思えて、ちょっとワクワクしますね。
少し先へと進むと、ちょうど筑豊本線が直方方面へと向かう電車が通り抜けていきます。ね、ちゃんと電化されてるでしょ?まあこの先にある桂川駅から博多方面へと電化は抜けて、筑豊本線の残りは非電化路線へと変わっていきますけど。
あまり進んでないですが、どうしても記事が横道にそれて長くなりますね。ここで一旦区切ります。
ではまた。