かっこよい文章を書きたい。

視覚や聴覚の類の生まれ持った感覚としてかっこよい文章が書きたいという欲求が爆発している。なぜならかっこよい文章を書けるやつはかっこいいからだ、身近でかつ不可侵な領域それが文章であり、言葉であるからだ。俺はかっこよい体裁の言葉で繕った弱めの文章を書き、それを名刺代わりにひけらかすことも厭わない、かっこよくなれるならなんだって構わない。普段道化な人間が傍でかっこよい文章を残した場合、その攻撃力は2倍じゃ足らないぐらいだ。俺はそうなりたい、なんなら"かっこよい文章を書いてる"がメインの人になりたい、それくらいかっこよい文章を書く人にはアドバンテージがある。そういった人はなんか足とか臭くても味になる、俺の足の臭いには味がない、臭いに詩的要素がない、高卒が作った単純な臭い、世界から捨てられた臭い。


ただこの現状を前に俺自身もリサーチを怠っている訳ではない、かっこよい文章を書く人になるには本をたくさん読む必要があるということを理解している。だから早速去年の春頃から読書をライフワークに加えている、現状コーマック・マッカーシーというアメリカ人の本を四冊読み、カフカを一冊、Gマルケス2冊を読み終えている。7冊も本を読むと本から空気と肌を媒介して気幹細胞の一つ一つにその語彙が付着し、詩的な髄液がするすると脳に流れ込んでくる、読書とは意外にも良いものなのかもしれない。音楽、映画とは違い時間の感覚が遅く、終始同じムードがぼやーっと持続して世界が薄く伸びていく。自室、光と音が動きを止めている空間で、一枚一枚手元の紙を捲り、リズミカルに発生する心地よい摩擦音の中で、印字された文字という記号から異世界の光と音、湿度や匂いなどの空間を夢想する時間は読書以外に変えがたい体験だと思う。


しかしながら悦に浸って読書を始めた目的を見誤ってはいけない、俺はただかっこよい文章を書ける様になりたいだけなのだ。デジタルが世界を満たした今、敢えて紙媒体を利用するという特権的な悦びはあくまでその目的に付随した一要素に過ぎない、なんなら読書をもっと馬鹿にした方がいい。本を読んでるやつはキモくて頭が悪い、健康不良や留年、神経衰弱など決まった社会規範から逸脱することにアドバンテージを感じているカスだ、みんなして顔が落合陽一に似ているし、実際落合もそれを迷惑に思っている。本をありがたがりデジタルを無碍にする意味が分からない、情報や媒体に良質も悪質もない、全て街中のビルボードと変わらない。情報をたらふく食った挙句なんのアウトプットもしないゴミ、うすのろ、ちんちん、リトルちんちん、ちんちん二区、ちんちん発電、ちんちん空港。ふぅ、、やっと俺と読書との間に心地良い距離が開いた。今の俺にはより技術的に、より方法論的にかっこよい文とはどの様にして綴られるのか読み解く必要がある。早速かっこよい文章を改まってテクニック別に3つ分析しよう。


最初は『残尿』、言葉通りのやり口であり、下記の文章に見られる。


▶︎ザ・ロード/コーマック・マッカーシー

彼は少年を抱いていた。ひどく細い身体だった。お前はおれの心だ、と彼はいった。おれの心だ。


一度文章を終わらせながら、その一部を抜粋しリフレインするテクニックである。何故か繰り返したことで、その箇所に深い意味が込められているかの様な印象を与えられる。クソみたいな文章に対しても有効で汎用性がある、例えば『眼前を通り過ぎたのは、うなじに異様なまでの光沢を帯びたおっさんだった。その異様なまでの艶と光沢。』こんな感じでリフレイン箇所を選ぶことで変な後味を加えられかなり便利だ。


2つ目は『具体的なパチ』、下記の文章に見られる。


▶︎逆光/トマス・ピンチョン

七面鳥と牛タンの燻製を載せた皿に取り囲まれたマヨネーズグレナッシュの山は内側から赤く光るように見えた。


よく分からないタイミングで対象物のスケール、色、感触までを具体的に、精緻に記すことで文体に味が出るのだ。専門用語を使えればなお良い、クソ文章に応用してみよう。『その折に登壇した浜崎あゆみは、悪臭を帯びた異界の猛禽類がカラフルな粘着性の蓄積塗料で装飾された様な様相だった。』こんな感じで比喩は意味不明だが、パチを精緻に記載することで脳は満足し文体に味が出る、かなり使える。


最後3つ目は『リズム』、詩としてのテクなので文章に応用可能、下記に見られる。


▶︎トリスタン・ツァラ

だが、柔軟さ、情熱、さらに悪徳の喜び、こうのような小さな真実は論理よりも重要だ。僕らはそれを天真爛漫に実践する。それが僕たちを美しくする。僕たちは繊細だ。僕たちの指はしなやかで、あの秘めやかな、ほとんど液体状の植物の枝のように、自在にのびる。


長文から一転し極端に文節を区切ったり、同音で始まる文章を繰り返したり、単語の羅列で細切れにしたりなど、文の流れに抑揚を演出することで意味が分からなくとも洗練さを演出できる。クソ文章ではこうなる『地下アイドルのフロアには極彩色のパンタロンを穿いた数匹の小さな中年男性が湿度の伴う汗ばんだ表情で踊っていた、光悦、閃光、色彩、それぞれが混ざり合った小さな宇宙、不可侵の宇宙、その饐えた宇宙。』


あとは熟語のみ意識すればある程度のかっこよい文章は書ける気がする、実際この文章の前段も上記3つの『残尿』『具体的なパチ』『リズム』のテクを活用して作ったので、こいつなんかいつもよりキモいなと感じていたらそれが原因かもしれない。今の俺の文章はDTMでいうところだと、小手先の音楽理論でゴミみたいなエレベーターミュージックを8小節作れる様になったぐらいなのだろうか、一時期の丸サ進行の量産曲の様に、正直MERCHレベルの読書に暗い女学生が俺の文章を見て"えっろ..."と感じるぐらいが丁度いい、そいつには俺の足の臭いを嗅がせてあげよう。俺、優しいんすよ。