Principle of dogma
ドグマとは独断と偏見の独断である
前回キリスト教歴史認識をくつがえす ユダの福音について論じたのですが
この世に星の数ほどの個性的な生物を見るとき・・ワシは神の存在を垣間見たりした気持ちになる
そしてこのように感じるココロを顧みるときもそうだ
皆さんはどうだろう?
世界支配の陰謀を解く かのベンジャミンフルフォードが
キリスト教の「世界支配」のカラクリ・・という本を2007年に出していた
自分は映画 「マトリックス」そっくりの仮想現実に生きていた事に気がついたと本で語る
本の内容は哲学者でニーチェに詳しい適菜収という人物との対談形式で
彼は中世初期に高貴なゲルマン民族の野獣的な部分をキリスト教を利用することで
家畜として弱体化し人間管理してきた人間牧場を作るシステムだと語る
支配者が管理しやすい従順な羊を大量生産する為のシステムがキリスト教だとも書かれている
おもしろい記述は
パウロはイエスの教えからは何も学ばずイエスの十字架の死を権力を握るために
教義や象徴を欲したとパウロをニーチェは断罪したと書かれている
この部分はワシの推察の記述と合致していた
ローマ時代「ニケーア公会議」で、コンスタンティヌス1世の臨席のもと
キリストについてついて宗教論争を戦わせた
司教アリウスは、イエス・キリストは人間であるのだから、神ではないと唱えた。
神は神であり、イエスが元来、神であったとするのは神への冒涜である。
イエスはその行動によって聖なる者となったに過ぎない。
これに反対したアタナシウスは、父と子は(奇妙なことだが)同じ実質なのだと唱えた。
投票の結果、アリウスは破れ、以後、彼の名は異端者の代名詞とされる
こととなった。
クリストファー・ナイト/ロバート・ロマス著/松
田和也訳、『封印のイエス』より/学習研究者
これが宗教の統治のための政治利用 キリストを人間から宇宙人にした
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
本ではナチスのヒトラーに言及するヒトラーはアーリア人を優れた人種として増やそうとしたとある
ニーチェはこうしたユダヤ人の選民思想やメシアの発想を批判したとある
>誰でも理解できる神が存在する証拠というものは見当たらない
所詮ドグマであるかもしれない
ヨーロッパ全土のあの芸術的建築物などがあれほど大多数のひとに何世紀も渡り信じさせたのか?
神がウソであるなら
人間はどれだけアホばかりなのだ?・・と
極論がでたりするΣ\( ̄ー ̄;)
日本では戦時中天皇は神であり戦争に負ける事などありえないと信じていた・・これは大衆をひとつの方向に向かわせる上でこうした神の宗教的思想は効果がある
だがキリスト教のように唯一絶対神は排他的でイスラムの神を容認しないという性質が今日もなお
戦争さえも容認し人間に害をもたらすのはなんたることか?
モラルハザードを逆に引き起こしたりして・・・
日本には八百万の神(やおよろずの神)や氏神の発想がある
こんな氏神のように地域の神でよいではないか?・・・と
何故世界で話し合おうとしないのだ?
この点から考えればやはり何らかの支配の力を広げようという政治的戦略が見え隠れする気がする
免罪符などとカネを払えば犯した罪が消えるなどと・・信じるアホはどんなレベルの思考回路だ?
教会で罪を告白すれば許されるというのはどうも日本人からみれば腑に落ちないのはワシだけか( ̄▽+ ̄*)
いつも神の上に政治が立とうとするのである
そして現代では世界で認められなくては気が治まらないのか?
日本人はキリストの神を信じないから欧米人から見ると信用ならん・・・?
などというセリフが独断的に罪悪感さえ我々に植え付けるかのようで
冷静にみればとてもいびつなのである
ドグマとは独断と偏見の独断である
前回キリスト教歴史認識をくつがえす ユダの福音について論じたのですが
この世に星の数ほどの個性的な生物を見るとき・・ワシは神の存在を垣間見たりした気持ちになる
そしてこのように感じるココロを顧みるときもそうだ
皆さんはどうだろう?
世界支配の陰謀を解く かのベンジャミンフルフォードが
キリスト教の「世界支配」のカラクリ・・という本を2007年に出していた
自分は映画 「マトリックス」そっくりの仮想現実に生きていた事に気がついたと本で語る
本の内容は哲学者でニーチェに詳しい適菜収という人物との対談形式で
彼は中世初期に高貴なゲルマン民族の野獣的な部分をキリスト教を利用することで
家畜として弱体化し人間管理してきた人間牧場を作るシステムだと語る
支配者が管理しやすい従順な羊を大量生産する為のシステムがキリスト教だとも書かれている
おもしろい記述は
パウロはイエスの教えからは何も学ばずイエスの十字架の死を権力を握るために
教義や象徴を欲したとパウロをニーチェは断罪したと書かれている
この部分はワシの推察の記述と合致していた
ローマ時代「ニケーア公会議」で、コンスタンティヌス1世の臨席のもと
キリストについてついて宗教論争を戦わせた
司教アリウスは、イエス・キリストは人間であるのだから、神ではないと唱えた。
神は神であり、イエスが元来、神であったとするのは神への冒涜である。
イエスはその行動によって聖なる者となったに過ぎない。
これに反対したアタナシウスは、父と子は(奇妙なことだが)同じ実質なのだと唱えた。
投票の結果、アリウスは破れ、以後、彼の名は異端者の代名詞とされる
こととなった。
クリストファー・ナイト/ロバート・ロマス著/松
田和也訳、『封印のイエス』より/学習研究者
これが宗教の統治のための政治利用 キリストを人間から宇宙人にした
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
本ではナチスのヒトラーに言及するヒトラーはアーリア人を優れた人種として増やそうとしたとある
ニーチェはこうしたユダヤ人の選民思想やメシアの発想を批判したとある
>誰でも理解できる神が存在する証拠というものは見当たらない
所詮ドグマであるかもしれない
ヨーロッパ全土のあの芸術的建築物などがあれほど大多数のひとに何世紀も渡り信じさせたのか?
神がウソであるなら
人間はどれだけアホばかりなのだ?・・と
極論がでたりするΣ\( ̄ー ̄;)
日本では戦時中天皇は神であり戦争に負ける事などありえないと信じていた・・これは大衆をひとつの方向に向かわせる上でこうした神の宗教的思想は効果がある
だがキリスト教のように唯一絶対神は排他的でイスラムの神を容認しないという性質が今日もなお
戦争さえも容認し人間に害をもたらすのはなんたることか?
モラルハザードを逆に引き起こしたりして・・・
日本には八百万の神(やおよろずの神)や氏神の発想がある
こんな氏神のように地域の神でよいではないか?・・・と
何故世界で話し合おうとしないのだ?
この点から考えればやはり何らかの支配の力を広げようという政治的戦略が見え隠れする気がする
免罪符などとカネを払えば犯した罪が消えるなどと・・信じるアホはどんなレベルの思考回路だ?
教会で罪を告白すれば許されるというのはどうも日本人からみれば腑に落ちないのはワシだけか( ̄▽+ ̄*)
いつも神の上に政治が立とうとするのである
そして現代では世界で認められなくては気が治まらないのか?
日本人はキリストの神を信じないから欧米人から見ると信用ならん・・・?
などというセリフが独断的に罪悪感さえ我々に植え付けるかのようで
冷静にみればとてもいびつなのである