気がつけば、今日は4月30日。
つまり、4月のラストデー。ということは、明日から5月。
え? 5月? もう5月? っていうか、つい先日年越ししたばっかりじゃなかったっけ?
毎年のように思うけど、月日の流れって本当に速い。「光陰矢の如し」とはよく言ったもので。
4月と聞いて僕が思い出すのは、たいてい花粉症かサイモン&ガーファンクルだ。
「April Come She Will」という曲。「4月になれば彼女は」。いやもうタイトルからして完璧に詩的。素敵。
この曲、出会ったのは中学生の頃。よく行っていたレコード屋に有った「セントラルパーク・コンサート」のアルバム。
当時、僕はまだマイケルジャクソンと部活と少年ジャンプにしか興味がなかった。でも、なぜかこの曲は、心のどこかにじわっと染みた。
April, come she will
When streams are ripe and swelled with rain
「4月、彼女はやってくる。 小川が満ちあふれ、雨で潤う頃 。」
……って言われても、今も昔も来た試しはない。毎年、雨は降るし、小川も満ち溢れるけど、そんな素敵な彼女は来たことない。
彼女どころか、宅配便の再配達も来ない。請求書だけは4月に限らずやってくる。
今思えば、若い頃って“存在しない彼女”に想いを馳せるのが、ある意味で季節行事だったかも知れない。
そんな時、サイモン&ガーファンクルの曲の裏側に見え隠れするオトナ世界は、夏の午後に遠く揺れる蜃気楼のように遠い憧れみたいなものだった。
実在しない彼女との妄想デート。駅前のベンチでアイスを分け合ったり、文房具屋でおそろいのシャープペンを買ったり。一緒に星空を見上げたり。
だけど、
May, she will stay
Resting in my arms again
「5月、彼女は僕の腕の中で休む」……えっ、マジで?
そんな……
やっぱり純真な中学生には刺激が強すぎる時もある。想像力がビッグバン。
いやほんと、ポール・サイモンは罪な男だった。淡々とギターをつま弾きながら、人の人生に理想と期待を植え付ける。
振り返ってみると、今年の4月もバタバタしているうちに終わってしまった。
仕込みして、営業して、SNS投稿して、深夜にお米や野菜の値段に愕然として、気がつけば今。現実の5月。
ポール・サイモンの腕の中では彼女が休むそうだけど、僕の腕の中で休むのは豚肩ロースだけだ。すごくジューシーにはなるけど、あまりロマンチックではない。
でも、まあいいじゃないか。
4月は来るし、5月も来る。彼女は来ないかもしれないけど、お客さんは来てくれる。ありがたいことだ。
だからゴールデンウイークも休まずお店は営業します。
4月も5月も豚を焼いて、キャベツも刻んで、たぶんまた誰かが「4月ってもう終わりか〜早いですね〜」とか言っていく。
うん、早い。
でもそのぶん、音楽がある。人生もある。仕事もはかどる。妄想もはかどる。
今日、帰り際にお客さんが「ゴールデンウイークは無休営業なんですね!」と言って、頭を下げながら一言。
「がんばってください。私は休みなんです!」
「あれ?おや?はて?」と思ったけど、まあ正しい。
働く人もいて、休む人もいる。それがゴールデンウイークだ。
「じゃあ、いってらっしゃい」って僕は言った。
彼女はにこやかに去っていった。僕はガスコンロを掃除しながらサイモン&ガーファンクルを口ずさんだ。
"May, she will stay"
5月が始まる。