【ダイアログ・イン・ザ・ダーク体験】 | Tokyo Sneakers トーキョー・スニーカーズ 〜いつもの東京は、新しい東京〜

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Tokyo Sneakersは、東京をベースに、たまに近隣県にも遠征しつつ、みなさんの休日や仕事後の時間がより充実したらいいなという想いを込め、レクリエーションイベントを企画運営するコミュニティです。

ずっと気になっていた、ダイアログ・イン・ザ・ダーク(dialog in the dark)を、先日、体験してきました。
 

少し気持ちを熟成させてから、
浮かんできたことを書こう。


そう思い、すぐに書かないことにしました。

けれど、静寂の中、ジーンと強烈に残っていることって変わらないんだ!と思い、この辺で書き留めておくことにしました。そろそろ、忘れそうだし(笑)!!

【どんなことをするところ?】


ダイアログインザダークは、視覚障害者の方のアテンドで闇の中で約2時間過ごします。
(洗練された説明が写真に書いてあるので、そちらをご参考ください!)

視覚以外の感覚を使っていることを、
実感したい!


それが興味を惹かれたキッカケでした。

けれど、お値段が思わずビックリする価格。

¥1,2000-。


どんなところで、
何が具体的に体験できるの分からない。
つまり価値が予想できない。

まさに、「闇・営業」なので(笑)、
ちょっと私には思い切りが必要でした。

そして、少し閉所恐怖症のようなところがあるので、闇の中、2時間も耐えられるだろうか…。そんな不安もありました。
時は経ち、
闇への不安はすっかり忘れていました。
はい、良い体験への期待だけで頭が埋まっていました(笑)。

入場直前に、
「そういえば、閉所苦手だったの忘れてた!」と思い出し、非常に焦る(笑)。


結論から言うと、暗闇や閉所が苦手な方には100%オススメしません!


暗闇もね、外の世界の闇(例えば自然林の中とか、山頂)とは違うのです。

自然界であるとしたら、洞窟の中のような感じです。

『純度100%の闇』と書いてありましたが、いくら、その中にいても、周りは見えてきません。目は慣れないのです。

まぶたを開いていても、閉じていても、
全く一緒なのですよ(笑)!!

案の定、準備段階の薄暗い部屋に通された段階で、苦しくなってきてしまいました。

「大丈夫、大丈夫。
慣れれば大丈夫だから。」

と言いつつ、何が起こるか分からない不安で過呼吸状態(汗)。

いつでもギブアップしようと思いつつ、好奇心に助けられて、奇跡的に全て体験してきてしまいました。

今回分かったのは、闇の中で慣れてきても、空間自体が狭くなると「圧」を感じて、また苦しくなる。

「えー、こんなに敏感だったの自分?!」


自分の身体機能の敏感な部分を新発見しました。

お日さまを浴びていられること、外を歩き回っていることが好きなのですが、本当に有り難いことなんだなぁ〜と、闇の中で心底実感しました。


「上虚下実」

闇の中であるワークをした際に、アテンドの方が参加者に伝えてくれた言葉。

「普段、私たちは頭で考えることに忙しくて、気が身体の上の部分に行ってしまっています。下半身がどっしり座るように戻しましょう。」


ある動作をした瞬間、下半身がどしりと座る。

その瞬間、いかに普段、頭にばかり気が上っていたか愕然としました。

こういう教えは、他の場でも聞いたことがあったし、そうだよねと、暫くは意識している。けれど、すぐに気が上ったままの習慣に戻ってしまう。

今回ばかりは、「もう、私は上半身だけで生きてきたのか…」と衝撃的でした。

色々な発見があったけれど、これが1番印象に残った闇の中での出来事でした。

あと時間感覚がなくなることも、とても驚きでした。


「見えないけれど、わかる」


今回、すごく興味を惹かれたのは、視覚障害者の方の身体感覚。

今回アテンドしてくれた方は、全盲の方で、暗闇でも、太陽の下でも、感じる感覚は一緒なのだそう。

つまり、目が見える人は、瞼を閉じていても、太陽の下だと、なんとなく明るいな〜とか感知するでしょ。

それが無いそうです。

けれど、何がどこに置いてあるとか把握されているし、目が見えないかわりに違う感覚や感性が、ものすごく発達されているのだろうなと、とても感じました。

・・・
ちょっと話が逸れるのですが、私の卒業した大学は、視覚障害者の方も健常者と肩を並べて学んでいました。

もうね、私からすると「本当に目が見えないの?」と確認したくなるほど、彼らは頭脳明晰で、勉強熱心で、やりたいことを進めていくのです。

いくら配慮があると言えど、健常者の学生より、レポート一本書くにしても、何倍も時間がかかるはずなのに、もう凄いんです。

自分が言う出来ないとか、「マジ、戯れ言だわ」としか思えなくなります(汗)。

海外留学したり、海外で自分でNGOを立ち上げてたりと。もうね、圧倒されます。
・・・

話は戻り、この世の中、目が見える人の目線で全ての環境が作られている。

だから、目が見えない人が、そういう世界の中で、快適、安全に暮らすのは、大変だよねと思う。

けれど、「見えないこと」が可哀想なことでは無いと、今回改めて実感しました。

目が使えないかわりに、健常者より、繊細な聴覚、味覚、嗅覚、触覚、そして記憶力があるのだろうからと思うから。


同じものを目の前にしてきた時、
一体、どんな認知をしているのだろう…。


目が見えることは有り難いと思う。

けれど、「目に頼り過ぎ!」だとも感じました。
見えているから、見失ってしまっていることが、きっとたくさんあるはずだから。

与えられた他の感覚も駆使しないとね^_^

[参考]