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光あるうちに光の中を歩め

生きることって?
突然の引きこもり人の独り言です。。。

「安定とは動かないことではなく、不安定をバランス良く瞬間瞬間乗りこなすことだ!」
尊敬するある方がいつも仰います。

中道などと昔から伝えられてきて、ついつい不動を求めるような文化が日本には育まれてきたみたいだし、そのように教えられてもきましが、沢山の伝統が経験してきたように形骸化して本来先人たちが伝えようとした内容まで伝えてもらえずに誤解して大人になってしまった気がします。

私の好きなOshoは
~~~~~~~~~~~~~
生は極端の集まりで構成されている。 

生とは両極端の緊張だ。 

真ん中に永遠に留まるということは、死を意味する。 

中道とは理論的な可能性に過ぎない。
(略) 

私はあなた方に、全く新しい洞察を与えている。 

すべてであれ! 

だからあなたが左側にいるとき、何ひとつ逸してはならない・・ 

味わうがいい。 

左にいることにはそれ自体の美しさがある。 

右側にいるときには、それは見つからない。 

場面も違っている。 

そしてもちろん、真ん中に在ることにはそれ自体の静寂、 平和があり、どんな極端の中にもそれは見つからない。 
だから、とにかくすべてを楽しみなさい。 

あなたの生をどんどん豊かにし、何ものにも執着しないことだ。 

可能な限り、すべてのやり方で生を生きなさい。 

対立する一方を選ばないこと。 

そして真ん中にいようと努力しないこと。 

私はあなたに中道を教えない。 

 私は全道を教える。 

~~~~~~~~~~~~~
なるほど~~❤
中道ではなく全道なのですね♪

起こる流れに良い悪いはなく真逆のことが同時に起こったりしてその度にあくまで等身大ですが、それらに同一化されないで静かに観るように心がけてはきました。

ただたまにマインドがやってくるストーリーにひえー💦っとなって拗ねてしまい、後から あーやっちまった、と笑うことも何度かあり、そんなときにはブレない不動の視点があればいいのにな~と秘かに思うこともあったのです。

でもそれを望むのは本末転倒!
それは予め真ん中にいようと努力するようなものなんですね!!!(笑)

瞬間瞬間やってくる流れの中で瞬間瞬間バランスを取ろうとすることで正中線という真ん中が生まれてくるものでそれは瞬間瞬間違うものであって当たり前なのかもしれません。

不安定のバランスを取ることが安定、と教えて下さった方に一昨年
「不易流行」
という言葉を戴きました。

ご存じ松尾芭蕉の有名な言葉で、一般的には
「全てのものは流れて変わっていく、変わらないものは何一つない、ということだけは変わらない!」
という意味合いですが、、!

敬愛するその方には
「変わらないところから流れを楽しめるようになるといいね!」
と言われたのでしたが!

これも全道を言われたのだな!と(笑)


変わらないところ、というのは

「たったひとつ、いつでも残るのはあなたの目撃だ(OSHO)」


こうしてみると、つくづく人が出来ることなんてほんの僅かなんだなぁ、と思います。

私は自分の身体とソレを造って?くれた宇宙にもっと委ねた方がいいのではないか?って この数ヶ月何度となく浮かんできていた思い♪

何とかしたい、という思いでジタバタするけれど、当然のように全部毎瞬毎瞬討死していました。
アセアセして あの手この手考えられるだけ思い付くだけやってはみるけれどちーっとも変わらない状況!?
そんなジタバタのマインドさんをちょっと離れたところから静観して あくまでも等身大だけれどなるべく瞬間瞬間にいられるように心がけていました。

そうするとどこからか
「もう全てを天(宇宙)に任せてゆだねればいいんだよ♪」
との思いが沸き上がってくるのでした。

「焦っても仕方ない!ある意味覚悟だけは出来たんだからあとはジタバタしないで宇宙に寄り添って全てを信頼して任せればいい音符

ふーっと肩のちからが抜けて楽になりました。

ところがその瞬間ジタバタするマインドさんが抵抗するのです!
「全てをお任せするなんて信頼出来ない!?」(←もはや一人いっこく堂やってるぅ~(笑))

えっ?あんた誰?(笑)

そうかぁー♪
君だったのねぇ!!!(笑)
散々探したけれど なかなか見つからなかったエゴのマインドさん(*≧∀≦*)

ハートにマインド(エゴ)を溶かしてマインドを一挙手一投足 魂がこの世界でそれを使って動き考え感じられるようになりたい!

実はもう長いことそのために修行していました。 

この期に及んで まだ何かが引っ掛かってるのかも?ってずーっと気になっていました(笑)。

「人が持っている 何かをなせる、という大きな錯覚」というマインド!!!

それは生まれてこのかた親からも先生からも受けてきた、というかその人たちもみんな本気でそう思って脈々と受け継がれてきたに違いない社会の大きな洗脳!


「でもね!よーく考えてごらん♪
あなたが今この世界でここに存在してる、ということはあなたは生まれてからずーっとずぅーっと宇宙を信頼して任せてきたからなんだよ♪
今さら信頼するもしないもない。
既にあなたは天と自分の身体にサレンダーしているのだから、、、」

「あっ!、、、(@_@)」

「つまりね!
宇宙や宇宙が創ったあなたを信頼出来ないと思わせているのは、エゴが社会の洗脳を受けてそう思っているだけだよ♪」

「、、、ああ、そうかぁー!そうだったのかー!、、、」

「あなたは一人なんかじゃない!宇宙のあらゆるものに守られている!既に全てを任せてきたから今、こうやって生かされているんじゃない!
そうでなければ人は誰一人この世界で生きてはいけないんだから!!!」


大きな大きな錯覚が溶けた瞬間でした。

もう、ただただ感謝しかありませんでしたm(_ _)m

自分の出来ることなんてほん~っと殆どないのですね!

そこにただ在って天に寄り添って あくまでも等身大で ただ起こることを静かに眺めてそのものと出逢っていくだけだなぁ♪

それが本当に「生きる」ってことなのかも?と感じ入っている今日この頃なのでした。
 

 

 

人が何かをなせる、と思うのは大きな錯覚に過ぎないと仰った方がいらっしゃるのですが、、、(笑)

本当にそうなんだなぁ、と最近心底思います♪

今更ながらですが、明けましておめでとうございますm(_ _)m

と言っても いつもと同じように確かにクリスマスもお正月もあるには有ったし、何故か超美味しいシュトーレンやすき焼のお肉なんか戴いてとても幸せでしたが~!

でも今までのような特別な行事だったというよりも日常にクリスマス色?やお正月色?の日々があった、みたいな、色々な色の日常生活の中の一つの色として淡々と流れていきました。

それは決してどうでもよかったわけではなく、むしろ2度とない貴重な楽しみな日々だったのでして、つまり日常的な毎日がとても貴重な2度とない日々、もっといえば2度とない瞬間の連続になってきた、とも言えるのかなぁハートマークと思うこの頃です。

だから毎日、毎朝がたとえ一見退屈に見えたとしても 特別楽しみな日ではなくても あるいは逆に落ち込んで悲しかったとしても、全てがそのままで良くて 全ての日が「明けましておめでとうございます」なのだなぁとつくづく思ったのでした。

そう、そしてその日常の毎日毎瞬を何とかして有意義?なものにしようとする、なんてことも考える必要は全くないのだなぁ、とも思ったのです。

というか 流れ来るもののそのままをそのままとして受け止めて味わう以外に人が出来ることは殆どないのだ、ということに この歳になってようやく気付いた感じなのです~♪(笑)

そして冒頭の
~人が何かをなせるというのは大きな錯覚~
なのだとつくづく思ったわけで、、、笑 

昨年仙骨を骨折したのをきっかけに、何故か原因不明にふらついて自分なりにはできることをやってきたつもりだけれど、約1年経って未だ1人で自宅マンションからでられません(;^_^A

素人ながらあれこれ努力しているのに思いどおりにならない。。。

そして ある時ふと気づきました。
私はこの状況を何とかしよう、何とか出来るって躍起になっているなぁと!

食べ物だって飲み物だって選んで口に入れる、まではできるけれど、そのあと消化して身体に必要なものは摂りいれ、不必要なものは排出するのは酵素や消化器官、呼吸だってたまーに吸って吐いてって意識するだけで四六時中意識しているわけではなく身体がちゃんと規則正しくやってくれている。
人なんて食べものや飲み物や空気などに出逢うだけで最後まで責任持って意識しているわけではない!

そういう類いのことを くだんの「人は何かをなせるという大きな錯覚をしている」と話して下さった方が常々話していらっしゃいました。

こうしてみると、つくづく人が出来ることなんてほんの僅かなんだなぁ、と思います。