何も無いところ その1 | 光あるうちに光の中を歩め

光あるうちに光の中を歩め

生きることって?
突然の引きこもり人の独り言です。。。

ある日の夕方、たまたま美味しい焼き芋(大好物)に噛りつき、糠床の様子伺い!?をしながら漬けている糠漬けの味見をして、とってもご機嫌だった私!(笑)

焼き芋と糠漬けだけでこんなに幸せ気分になれるなんて我ながら超単純!と笑ったら
突然、マインドさんの頭?に
「だって遊びにきたんだもーん」
って浮かびました。

 

今現実に起こっていることは、今この瞬間それがたとえ楽しい状況でも苦しい状況でも 過去や未来の私ではなく今その時の私がたまたま今の瞬間のその状況に出逢って味わっているだけ!

そして
「なるほど本当に全て遊びなんだなぁ

ただ目の前に繰り広げられるその瞬間やってきたその状況を遊べばいいだけなんじゃん!」
とストンと腑に落ちたのです。(笑)

ホント表も裏も、喜びも悲しみも、幸も不幸も実は全てが遊び!?(笑)

それも命懸けの真剣な遊び!?


だって生まれることは同時に死ぬことが確定したわけでもあるし!(笑)
つまり今の状態が元気だろうが病気だろうが全く関係なく、そして本人が意識していようがいまいがこの世で今この瞬間息をして生きている、ということは全員その瞬間裏?に死ぬことがくっついているんですものね!
そう思うとこの世に生まれた瞬間から全員が命懸けの人生ストーリーを歩んでいるのだな、と思いました♪
普段元気なときはなかなか意識出来なかったことですけれども!!(笑)

 

生きることは同時に死ぬことでもある。


でもそれを考えないようにしたり 見ても見なかったことにしてスルーして逃げたりせずにそのことに覚悟を持って直面出来たときに、人は人生のストーリーのそれまでと違う側面を観ることになるのかもしれません。

そして、生と死の両方の面があって生命、となるように物事にはやっぱりどうしても表と裏の両方があるようで、、、(笑)

何故か人の作った社会は、とくに近代以降、表ばかりを大事にして裏に意識がいかないように教育という名のもとに調教!?してきたのでは?とどうしても感じてしまうのは、私だけかしらん!?(苦笑)

小さい頃、父親の仕事の関係で引っ越しの多かった私は引っ越す度にピアノの先生も変わるわけで、お陰様で実に色んなタイプの素晴らしい先生に恵まれました♪ 

なかでも小学校5年の始めから中学2年の始めまでお世話になった先生が素晴らしかったんです。


和声進行や曲の構成など理論的なことがわからない小さい子供に、その先生は説明するときにご自分が弾いて聴かせて下さったのでした。

「ここはフレーズごとに音の色を変えて!本当は1音1音色は違うのだけれど、そこまでは出来ないでしょうから!(笑)」って目の前でそのように弾いて下さるんです!

音の色?何やねん?

すっかり?だらけでいっぱいになった小さな私の頭でしたが、実際に目の前で弾いて貰うと子供なりに あー、本当に変わるんだあ♪、と納得!

まさに口伝の世界、、、(笑)

ある時
「ここは音の流れを止めて 何も無いところを作って!」
と言われ、目がテンになりました!


で、いつものように弾いて下さると確かに一瞬音がない!


というか、真空ってこういうこと?みたいな、音だけでなく時間も空間も一瞬消えたみたい!!!(笑)

「す、凄い!」

もうあれから40年以上経って何の曲だったのかは忘れちゃったけれど あの衝撃はまだ覚えているのだから幼心に余程印象深かったのかもしれません(笑)


確かにレコード(CDがまだなかった時代(笑))で外国の有名なピアニストの演奏にはこういうところもあったけれど、、、

 

でもレコードで聞いて知っているのと すぐ目の前で生で弾かれるのとでは大違い!

 

子供心にもその現実に圧倒されて


「何も無いところって作れるんだ~

 

とびっくり!!!

 

「音で表現しようと思ったら、音があるばかりじゃダメなの!音の無いところを作る必要があるのよ!」

この先生は某音楽大学でも教えていらしたそうで、小学生を相手にしてもチラホラ難しいことを仰る!(笑)
そういうところを~あの先生は何言ってるのかわかんない~、って嫌がる子もいたけれど 私はそういうお話が何となく好きだったし、何より目の前で生演奏を弾いて聴かせて貰えるので 小学生なりにだけれど納得出来て楽しかったのです。

いまから思うとピアノ教師としてだけでなく、演奏家としても優れた先生だったのだなあ、と感じます。

私が大学でピアノを専攻したのは一重にあの先生のレッスンのおかげだ、と今でも思うのです(笑)