「貧困率」についてはもう一つ、世界銀行が策定している「絶対的貧困率」がある。こちらの尺度で見ると、日本などOECD諸国とはまるで異なる貧困の実態が浮かび上がる。
世界銀行の定義では、1日の所得が1.25ドル相当額(貧困線)未満で生活する人を「絶対的貧困層」としている。十分な所得がないため最低限の生活必需品を購入できない人の割合で、発展途上国の貧困状態を示すのに使われる。・・・〔nippon.com より〕
この「絶対的貧困率」場合、比較の目安を設けるために“1日の所得が1.25ドル相当額(貧困線)”というものを目安にして推し測るようになっているが、通貨取引の為替レートが激しく変動し、原材料などの輸入財の価格が生活必需品の価格に大きな影響を与えているような日的な状況やに於いて、「もっと、生活の実感に副って見極めようとするならば、“1.25ドル相当額の所得”という数値にこだわらずに、一日相当の所得分の中から、“一家が社会生活を営む上で必要な費用”+“食費や光熱費などの一日あたりの生活必需品相当額”を差し引いたもの、“つまり一家の純利益利”が、いくら残るかを見てみたらいいだろう。」
そんなに贅沢な暮らしを営んでいなくとも、貯蓄などに回せるような余裕ある余剰分は、ほとんど無いか、あるいは、あっても、悲しいくらいの“純利益”に驚く人が多いだろう。
いわゆる先進国の貧困なんて、発展途上国や、紛争地帯の難民キャンプの貧困に比べれば、贅沢な貧困だという声もあるのかもしれないが、先進国なりの貧困も、それらとは別の意味で厳しい部分も多いし、日本の場合もっと深刻なのは、こどもを育てて、仕事でも、それなりのキャリアをもつ、三十代から四十代くらいの普通の暮らしをまじめにしている中間層が、貧困に転落するきわどいラインの上で日々の生活を営んでいるという事実の危うさであろう。
● 相対的貧困率の推移について
最新(2010年調査)の相対的貧困率は、全体で16.0%、子どもで15.7%・・・内閣府
「相対的貧困率からみえてくる日本における貧困問題と子どもの貧困」について
●子供の貧困率、最悪の16.3% 厚労省12年調査・・・2014/7/16 日本経済新聞
厚生労働省が15日まとめた国民生活基礎調査で、平均的な所得の半分を下回る世帯で暮らす18歳未満の子供の割合を示す「子供の貧困率」が、2012年に16.3%と過去最悪を更新したことが分かった。
バブル経済の頃から、『豊かさとは何か。』とか、『本当の豊かさ。』とか、そういう事が盛んに説かれ、「本物志向」とか、そういう事も言われたけれど、実際には100均の廉価のものが大いに売れた。
そして、今日では、『貧しさとは何か。』・『貧困とは、どういうことか。』と説かなければならないような時代になってきた。
『こういう日本って・・・。』というよりも、『そんな国民は、正気なのか、大丈夫なのか。』と、つい考えてしまう。
結局、大やけどをしなければわからない性格とか、大怪我をしなければ止めない想像力のなさとか、そういうような事なのだけれど、・・・。
つまり、多数の中にいる限り、多数からはみ出ない限り、反対とか、賛成とか、声を上げていれば、『大勢の問題は、放置しておけないから、政府の誰かが解決してくれるに違いないと。』という、根拠のない自信が、そういう行動に走らせるのか・・・。?
『豊かさとは何か。』ということが、わからなくなって、『貧しさとは何か。』ということも、わからなくなった、『日本・・・というよりも、日本人は、すごく危うい状態にいるのだと思う。』
もし、最近の、世界的な気候変動が拡大して、世界の穀倉地帯と呼ばれるところで不作が続いたら、どうなるのだろうか。・・・ということを想像しよう。
貧困や、飢えということが、もし想像できないのならば、
『試しに三日ほど水だけで過ごすといい。』
それでもまだ、日本で、そんなことは起きるはずがないと思う人は、
『一週間ほど、絶食してみるといい。』
そして、『いつ、おなかいっぱい食べられるかどうかわからないことを想像して視るといい。』
『貧困や飢餓から縁遠くなって、それが想像もできなくなると、何が大事なのかと云う判断の軸が失われる。』
>>>日本の“聖域”コメ作りにイオン参入へ 農家の葛藤に海外メディア
農地中間管理機構が地元の実績のある農業者よりも大手企業に有利な集約農地を優先的に貸与したり借り手の付け替えを行っているという情報もある。そういうことは地域差に由るだろうけれど、資本差が、農業への意欲と持続力と評価されるのならば、それはおかしい。もしそういう評価基準があるとするならば、この国は農地を勝手に運用しようとしている。第二次農地解放とは農業者より土地を奪い、企業に農業をに独占させることなのだろうか。?
『日本と云う国は、労組がつくった企業社会主義国家か。?』
● 増加する大企業の農業参入―その背景と戦略―
例えば、こういうことを、事想像する。
TTPにどうしても参加しなければならないから、日本の農業に国際的な競争力をつけるとか、そういう理由で、農業と云う分野に企業が参入できるようになった。
けれども、そこに、大手の全国展開する流通小売業者が参加して、生産から中間流通から小売までを抑えて、そしてその規模を拡大させていったら、どうだろうか。
仮にお米だとしたら、お米の価格に対して、その企業が主導権を握ることになる。
そして、企業なのだから、ある時期に、そういう国内シュアを握った部門を外資に転売したらどうだろうか。?
そういう、資本力のある企業が優遇されて、農業に参入することで、助成金目当ての農業ではなく、自己資金で着実に展開しようとしている本当の農業者まで、撤退を余儀なくさせてしまうところへ追い込むことは、国民にとって利益になることなのだろうか。?
そういうことも、想像してみるとといい。
世界が絶賛する日本のコメが危機に瀕していた!
絶滅寸前の「米俵」から見る稲作文化の衰退と未来
結局、日本にとって高度成長とはなんだったのか。?
世界の識者が価値のあるものと絶賛した日本の生活文化をドブに捨てて、プラスチックな100均の商品や偽物食品に取り替えただけだったのか。?
『クレジー。』と、外国人に驚かれ、『なんと馬鹿な国の、理解できない国民』とさげすまれて初めて『平凡な庶民の日常生活の中にあった日本の文化の価値に気づく。』
書画骨董・花鳥風月・・・それだけが価値のある日本文化と独りよがりに思っていた世代の文化性が悲しい。
『身勝手な日本人が、日本の国宝をダメにする。』
日本人が、日本の事をもっともわかっていなかった。
わたしもそうおもう。
合気道や、日本の武術・・・日本のいろんなものに興味を持つ外国の人々は、とても多い。
日本人が価値がないものと、それらを捨てたのだから、その価値をわかり愛する人が拾って暖めればよい。
人が価値があると言っているのを聞いて、
あわてて自分が捨てたものを拾い集める姿は、とても、あさましいものだと感じる。
「外国の人にいわれるまで、その価値を認められない日本人の問題が浮き彫りにされる。」
「自分自身で、考えて、価値を決められないという日本人の在り方が問題だ。」
深い黒の光沢をたたえる漆 一目見て恋をした。・・・輪島塗漆芸作家 スザーン・ロスさん
けれども、そのようにな状態にしてしまった、国の文化政策とか、教育には問題はなかったのか。本当の意味で文化の価値を認めていなかった社会には問題はなかったのか。・・・そういう事も含めて、『戦後の日本について、いろんな意味で、いろんな面から、あちらこちらから噴出した問題と、その節操のない対処法について問われているのが、今回の選挙だと思う。』
最近、日本共産党の言っていることが、
自民党よりも保守だと思えてくる今日この頃の、わたし・・・。
小泉改革以降、いろんな事が起こった。民主党政権になり、また自民党に政権が戻った。
その国にとっての保守とは、政権担当政党とは・・・。
国民の未来や、国の未来をあずけられる本当の保守政党の立ち位置とは、どこにあるのだろうか。?
さまざまな立場や、個々の事情、そして時代背景・・・いろいろあると、『単純に、その是非を決めがたい。』
けれども、『多数の中にいる限り、多数からはみ出ない限り、“誰か(政府)が、何とかしてくれるハズ。”という、身勝手な依存では、もう駄目なのだと思う。』
なぜ、日本の養蚕や絹が、現在のようになってしまったのかと、そのことをモデルとして考えればよくわかる。
悲観的なことばかり、書いていると思うかもしれないが、けれども、今、日本にはひとつ切り札が残っている。
そのチャンスを活かそうとするならば、『それぞれが、自分で考えて選ばないといけない。』
最後にひとつだけ、わたしの意見を書き添えれば・・・
世界を見渡せば『豊かさとは・・・食べ物の多くが自給できていて、最先端技術を保有していて、エネルギーもほぼ自給できていて、しっかりと自国の文化が息づいていて、豊かな自然環境に恵まれている。・・・そういう国が豊かな国なのだと思う。』
・・・・・・・・・<参考文献>・・・・・・
強気シナリオの落とし穴、原油安と円安には功罪両面2014年12月9日 ロイター
原油安と円安には功罪両面があり、プラス材料だけと断定するにはリスクがある。急激な円安は原油安のメリットを減衰させ、業種間の格差を大きくする。
ニュージーランドのTPP拡大戦略:積み石アプローチの理論と実証
オーストラリアのアジア対応の諸困難
ニュージーランド - 日本エネルギー経済研究所
TPP加盟による国民生活への影響
環太平洋戦略経済連携協定(TPP)の概要・・・JETRO