「安里屋節」と「安里屋ユンタ」と「あぱれ」 | ーとんとん機音日記ー

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山間部の限界集落に移り住んで、
“養蚕・糸とり・機織り”

手織りの草木染め紬を織っている・・・。
染織作家の"機織り工房"の日記

秋


 目的としているのは、染織についての部分なのですが、ずっと以前に図書館などでコピーした資料には、他の分野について記載された項目も、一部混ざり込んでいるので、なかなか目的の一文が見つからないときなど、断片的に現われる、そういうものに、惹かれることがある。


探していた記載から、それてしまったけれど、
沖縄の大正から昭和にかけての民謡が載っていて興味深く眺めた。


 昭和十年代のものになれば、世相を映してと言うべきか、
タイトルもモダンになって、歌謡曲化したと言うべきか、
いわゆる、私たちがイメージする沖縄民謡という世界を大きく裏切っている。
歌詞の言葉も、本土言葉化したものも作られるようになったようだ。

 具体的には、「歌劇縣道節」,「移民口說」,「 涙の那覇港」,「新兵の見送」,「移民小唄」,「喜劇廿日正月」,「移民行進曲」,「 織布工塲節」などのタイトルが見受けられる。

また八重山民謡の「安里屋ユンタ」は、収録されておらず、「安里屋節」は収録されている。

安里屋ユンタ -古謡はどのように伝承されているか


 「安里屋ユンタ」と、「安里屋節」の関係や歌詞について、議論の俎上にあるようであるが、「安里屋ユンタ -古謡はどのように伝承されているか 」でも指摘されている「美(ちゅら)」という言葉(竹富島では“ちゅら”という言い方はしない)については、なかなか難しい話だけれど、大正の末期に採取されて記録されている例では、安里屋節はすでに、「安里屋ぬクヤマに あん美(ちゅら)さ生(ま)りばし」の歌詞となっている。

「安里屋ユンタ -古謡はどのように伝承されているか 」にテキストが収録されている 喜舎場永珣がいう「竹富島で謡われている正しいユンタ」は、以下のものであるから、歌詞の末尾に「・・・によ」というように「よ」がついている部分で、歌いだしにところが違っている。


安里屋のクヤマによ
サーユイユイ
あん美ちゅらさ生まりばしよ
マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ


 竹富島では、「あんちゅらさ」という言葉は使わない。この表現は石垣のもので、竹富島では「美しい」は、「あぱれさ」と言う。・・・という問題。
 その「美しい」=「あぱれさ」という表記は、前述の喜舎場永珣のテキストの中にも、以下のように収録されている。

乙女(みやらび)ぬ いかゆてぃ
美(あふあ)り子(ふあ)ぬ 通とうらゆてぃ


 この場合は、「美しい=あふあり」となっているが、大正の末期の記録例でも同様の一節が含まれているから、美しいということについて、「美=ちゅら」と「美=あふあり」の二通りの表現が並列して用いられていたのだろうか。?

 ちなみに、大正の末期の記録例では、「乙女(みやらび)ぬ 」と「美(あふあ)り子(ふあ)ぬ」の位置が入れ替わっている。


美(あふあ)り子(ふあ)ぬ いかゆて
乙女(みやらび)ぬ とらゆて


 或いは、美しいということの質について、「美=ちゅら」と「美=あふあり」の使い分けがあったという事を意味しているのだろうか。?

、「美=ちゅら」については、思いあたる所が浮かばないけれど、
「あぱれさ」或いは、「あぱれ」、または、「あふあり」の原風景については、ひとつ心当たりがある。

「あぱれ」

アパレー 今日の日ど さにしやる
アパレー 黄金日ど いそしやる
アパレー ミルク世ば たぼられ
アパレー 稔り世は たぼられ
アパレー ミルク世の 祝(ユ)ひどす
アパレー 稔り世の 祝(ユ)ひどす
アパレー ばぬたみど さにしやる
アパレー 神佛も みひんだら 

反歌
神佛も踊りようれ
ばがらけも踊りようれ
山人數も栄(さかり)ようれ


 上に記したものは、八重山の“あぱれ”の一例だが、座かざりと云う神歌と反歌の部分が同じものになっているので、“座かざり”と“あぱれ”は一対のものなのかもしれない。
“あぱれ”は、“天晴れ”の意味で、ばぬたみ(村の人/神祭りの場にいる人)も、神佛も 黄金日の稔り世に歓喜して、踊りだすというような、純粋な実りの喜び、稔りをもたらす神佛への感謝、そういうものが、神佛も人も、混ざり合って喜びに踊るというような、一種のカオスの様で描かれている。

そういう美意識。

 こういうものを西洋音楽的なものの中に探せば、Ludwig Van Beethoven: Sinfonie Nr. 9 D-moll Op. 125・・・の合唱部分のようなことなどだろう。

歓喜のカオスは、其処に宿る、大いなるものの存在感が故に、感涙を呼ぶ。

 近代化の手本としたことによって、ヨーロッパの文化を、自我(エゴ)の文脈で読み解きがちであるけれど、ヨーロッパは民族文化の濃いところなのだと、改めて想起させてくれるのが、いわゆるこの、第九・歓喜の歌の存在で、心が騒ぎ、血が騒ぎ、大いなる歓喜を伴って、自然の営みや民族文化や国家と云うものに個の感情が普遍的に結びついているという事を再認識する。

 そういう結びつきを否定的に扱ってきたのが、戦後のヤマトンチュウの文化で、わたしの場合は、18歳頃に沖縄の音楽に出会えたことが幸運であったと、今ふり返ってつくづくと思う。

 豊穣の秋の稔りに、神も佛も、ひとも、皆、唄い踊る、
大いなる歓喜の、その様を、いつか見てみたいものだと思う。