あらたしきとしのはじめのはつはるのきようふるゆきのいやしげよごと
“新たしい(あらたしい)”が“新しい(あたらしい)”という俗用例が改められるどころが主流になって定着してしまった事によって使われなくなったのは、いつ頃からなのでしょうか。
高校のときに、ちょっと意固地な先生がいて、“新しい(あたらしい)”と読むのは、間違いが慣例的に用いられるようになってしまったからだということを、授業のなかで触れて仰った事がありました。
その、間違いが正されずに一般に受け入れられて通用してしまったというエピソードは印象深かったので、この和歌を覚えてしまいました。
「朔旦立春の 今日降る雪の いや重け吉事」と詠んだ家持の同じように、混迷してゆく国際情勢の中で、禍を避け日本が善い事に恵まれますようにと、想う今日です。
そのような世間の流れとは別にして、ことしも私として積み重ねてゆくべきことにつつがなく取り組むことができましたなら幸いです。
ここ数年間、幸いなことに“養蚕と製絲”そして織物という関係について考える機会が得られました。このことも、最初は習俗や“昔は、どうやっていたのか”というところに対する興味から入っていったのですが、そこに留まらずに、だんだんと“ひとの営みとは、どのようにあるべきであろうか”というような処にも視点が広がってゆきました。
その中で得られた、さまざまな方向を指し示すバラバラなベクトルが、これから、わたしの中で、いったいどのように纏まってゆくのだろうかという点は、わたし自身にとっても目が離せないところです。
さてさて、ことしは、どんな展開が待っているのでしょうか。
いつものように、自分の力で、じっくり、ゆっくり歩みましょう。
地道に歩むことに努力を惜しまない みなさまにとっても、
幸が多い午の歳でありますように。
