きょうは、フィールドワークを途中で早めに切り上げて、こちらのシンポジウムに参加させていただきました。
わたしどもは染織と云う他分野の立場でしたが、日本の漆工芸の分野で、国産の漆を守り、また用具・用材などの生産を、どのようにして維持して行けるのかと云う点から興味深いお話をお伺いすることができました。
わたしどもが桑を植えて養蚕を始めたように、漆の分野でも、漆の木を植えることから始めて、国産の漆を守ろうとされている方がいらっしゃいました。
うちの場合は、養蚕を手がけるようになったことで得がたい経験ができたと考えていますが、総じていうなら、決してプラスの面ばかりではない訳です。
例えば、養蚕の期間はそれだけに追われて精一杯なので、他のことをする体力が残らなくなります。また、養蚕や製絲について調べたり考えたりすることに時間が割かれる分、技法の研究などに振り分けていたものが緩慢になりがちです。
ただでさえ、あまり効率のよくない作業が、もっと効率のよくないものになってゆく。…マイナス面を挙げれば、切がありませんが、そういう負の部分も強ち無視できない程のものがある。
思わしい絲が得られないということから、養蚕を手がける方向に、わたしどもは進んでいったが、それが絶対に正しい方向であるということではない。
また、国産品であるから価値が高いというわけでもないし、手づくりであるから良いものであるという保障もない。
そして、今時であれば、外国製であっても品質価格ともの面でバランスが取れて優れているものも多いし、特に生糸の場合では、国産の手づくりのものよりプロダクトとしての完成度が高いのならば輸入絲の方がいい場合だって多くあると思う。
きょうのシンポジウムの中でも、ある漆の作家さんが、「つまるところ、自己満足かもしれない。」と発言されたが……、
わたしも、ある意味では、そうだと思う。
「そうだと思う」が、しかし、わたしは、その自己満足と云うところを、肯定的に考えるようにしている。「だって、じぶんも、こんなものに価値はないと思うようなものをつくって、人に売るということは、自分と買ってくれた人を欺く、ひどい詐欺ではないか」…と思うから、自己満足できるものをつくって、その上で選んで買ってくれるひとがいるなら、とても幸せではないかと思うことにしている。
目紛るしく移り変わる当世の価値観の中で、それなりに時間が掛かるプロセスを順次に追って“つくる”ということを続けることは、難しいことになってきている。
そういう現実を目の前にしながら、様々なことを試みている他分野の方々のお話が御伺いできて、刺激も受けたし、とても共感できるところも多かったので良かったと思います。
そして、なんといっても、元・神宮司廳造営局神宝装束部長 神原佑司さまの記念講演は、とても意義のあるお話が盛り沢山の内容で時間を忘れる程でした。
「神宮遷御の儀の同時刻 午後八時には、天皇陛下も御装束を御召になられて 宮中神嘉殿の庭上にて、伏して伊勢の神宮を遥拝される」ことや、御神宝御装束を整えてゆくにあたっての御苦労などに加えて、「神宮さまの御遷宮は、別宮、摂末社の全てが終わるまで続くので、あと何年も続く」というお話をご披露くださいました。
「多くの人にとっては、もう式年遷宮は終わったという感覚かもしれないが…」と仰っていらっしゃいましたが、「別宮、摂末社の全てが終わるまで、神宮さまの祭儀にかかわる方々や、それを支える方々は、この後、数年間、まだまだ気の抜けない緊張した日々を過ごされるそうです。」
伝統的な要素の濃いものづくりも、神社の祭儀かたちも、世の中の流れのままに沿っているだけでは、残してゆくことのできない時代になったんだなと思いました。
「まず、残そうと決めて、どのように取り組めるのだろうか」と、残したいと思う個々が真摯にその作業に向かわない限り、簡単に変容し消滅するだろうと思います。
結局、残したいと思い、個々ができることに取り組んでゆくというような、その国や地域や人の文化性とか精神性の問題だと思います。
「赤心」という心根の価値を、再認識する必要があるのではないでしょうか。

