- 聱牙 - | ーとんとん機音日記ー

ーとんとん機音日記ー

山間部の限界集落に移り住んで、
“養蚕・糸とり・機織り”

手織りの草木染め紬を織っている・・・。
染織作家の"機織り工房"の日記

ーとんとん機音日記ー-牽牛子


 このところ、外は恐ろしく暑いこともあって、時間ができると調べものなどをして過ごすことが多い。

・・・とはいっても、明治の頃の事跡を確かめる作業は、そんなに調子よく捗るものでもない。

 ただ、ポツリポツリと、今調べていることには直接は関係しないものの、大変に興味深い断片の情報が目に飛び込んでくる。
今時は、Webを使って、目当ての書物の所在を予め確かめることもできるので、便利になったものだけど、多くの場合それが、館外持ち出し禁止本だったりするので、その図書館まで足を運ぶことになる。

だけれど、…こうも暑いと、その気力も萎えてしまう。


 先日、打ち合わせの用事ができて、その猛暑の中を出かけなければならなかった。うだるような暑さに疲れきって帰って来て、それから、夕方に桑畑に出てみると、桑の木陰で植えた覚えのない花が咲いていた。

 漢方では、牽牛子と謂い、「朝顔姫」と呼ぶ。

「朝顔姫・梶ノ葉姫・糸織姫・蜘蛛姫・秋去姫・薫物姫・百子姫」のという、”七夕の七姫”のなかに、「朝顔姫」が記され、また、”七夕の七姫”は、「朝顔姫・梶葉姫・糸織姫・蜘蛛姫・秋天姫・琴寄姫・灯姫」であるとも云う。

ーとんとん機音日記ー-葛の豆


 近頃、時間ができれば、わたしは、斉藤製絲場のことを調べる為に、明治前期の書物の世界にもぐり込んでいることが多い。そして、単純な感想として思うのは、たった100年ほど前の事なのに、なんとわからないことが多い事かというところに先ず驚く。

けれども、百年ほど前の日本のなかで、答えを探して彷徨っていれば、奇しくも、今日的な日本の幻に出遭ったりする。

 大正時代の半ばには、日本の物価が倫敦や紐育を抜いて、世界一高い水準になっていたようだ。


『不景気に苦るしんで居る国民の懐から綜合課税など新しい徴税法を工夫して、辛辣な取り立てをやって居る富豪の徒は合法的脱税などを講じて逃げるが、綜合課税によって実際泣く者は中産階級である。それも其国税が真実国利民福の為に使用されれば 文句はないが、与党代議士が一寸と当局に運動すれば、蚕糸家が困ると云っては蚕糸救済資金に三千万円を投げ出す。該資金は蚕糸業者を救済せずして却って危地に陥れて、英国は日本が蚕糸を値下げしないからと云って需要を支那方面に求めて日本を顕みぬような現象を見せた。或は農村救済を称えての今度の米穀買入策でも、今頃迄米穀を貯えて居る者は 金に困らぬ豪農て救済の目的が何処にあるか。?』

・・・のように問う新聞記事があった。

 わたしは、一瞬、現代と百年前の風景がひとつに重なって見えた気がして目を瞬かせた。そして、落ち着いて、周りを見回せば、史料調べをしていた図書館の中の様子が目に飛び込んでくる。


そもそも、除染というものに、どれだけ効果があるものなのか。また、どれだけ持続する効果なのか。?どのような手法で、除染という行為の結果に対する客観的な評価をするのか。?
そういう、組み立てのないまま、当時の民主党管政権が踏み込んでいった、この除染と云う作業。
除染の効果と費用に関する解析について

福島復興論:対談・適正な除染とは
「適正な除染とは。?」なんていうことは、最初に話し合われるべきことではないのか。?

時間経過とともに、30パーセント程度までの自然消滅分があるとは云われているようだが。?
除染:福島県内で放射線量25%減 環境省追跡調査

除染費5000億円要求へ=中間貯蔵は金額示さず-環境省

クウェートと石油の安定確保へ関係強化確認

【図解-経済】灯油価格の推移 「今年の冬は18L灯油缶1800円を超えたところから価格上昇必至」
何をやっているのか無策すぎる。
安部内閣の円安戦略で、皺寄せは庶民の冬に。!!

一時的なショック戦略は、いつまでも続かない。
つぎに、ニュートラルに戻しても優位性が確保できるような打つ手が無いのなら、これは、国内経済を危機に導きかねない。自民党には、経済通の人材が枯渇しているのか。?


【脱原発で大丈夫か】放射能への過剰な不安
合理的なコンセンサスがつくれないまま、どこへ行く日本。

 まったく、ひどい話しだね。
百年たっても、わたしたちは、まったく何をやっているのか。
民主党政権の、あのずさんな事故への対応を許してしまった国民へ、これから因果がめぐりめぐって降りかかる。

 偶然、百年ほど前の、日本の風景の中に、わたしも知らなかった縁者の事跡が浮かび上がった。奇人と呼ばれ、天才といわれた儒学者 土井聱牙に師事していた時期があったようだ。
森田節斎の門にあったことは知っていたが、この事は初めて聞く話しです。
 縁者が師事したこの鬼才の儒学者は、どんな心情から「聱牙」という、この号を名乗ったのでしょうか。?
 郷里に戻って、地租改正反対一揆を組織し、国会開設の自由民権運動に身を投じた、その縁者の目には、いまの日本が、どのように映るのでしょうか。?
 何のために、国会を開設することに奔走したのかと、情けなく思いはしないでしょうか。?

 短絡的に前の戦争と結びつけて、ナショナリズムを批判するひと達がいるけれど、ほんとうに、その批判は当を得ているのでしょうか。?
 ナショナリズムが、急進的オルタナティブや、徹底した保守や、貧富の差や、さまざまな立場の差を超えて結びつけ得る、最低限の了解域や核とはなり得ないのでしょうか。?
 そのようなナショナリズムが日本にあれば、すくなくとも、一企業の電力会社に全責任を押し付けずに、慎重で責任のあるベストを尽くすことを怠らない政府の姿を見ることができたように想いますが、森田節斎や土井聱牙のような鬼才がいても、逆にそういう存在が疎まれる様な当世の風潮では適わぬことか・・・。