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嘗て 盛んなりし頃。
かつて、三重県は、輸出優等生糸の有数の生産県でした。
それには、伊藤小左衛門という先駆的な存在がいたことが幸いしています。
また、三重県は、江戸時代の茶の産地から、輸出茶の産地として展開していった人々もいて、地場産物輸出の経験的な素地が備わっていたと云う点も、県内の素封家が輸出器械製絲に取り組む動機になっていただろうと想像できます。
三重県と云うと、イメージ的に、伊勢木綿に津綟子(つもじ)、松阪木綿に白子型紙という存在に押されて、江戸期の養蚕や製絲が消されてしまっているので、突発的に、明治の輸出製絲が出現したように思えて、「三重県と絹の結びつき」が吞み込めないような観は否めませんが、やはり、そんなに存在感はありませんが、木綿の陰に隠れて絹もあったんですよね。
でも、明治の初頭から中盤にかけて、器械製絲による輸出優等糸生産に絞り込んだ意気込みは、特筆に価すると思います。
しかし、一口に、「器械製絲を導入して優等糸をつくり、輸出を目論む。」とはいっても、それを個人の力で行なうのは大変なことでした。
座繰器による組合製絲(揚返し製絲)場と、器械製絲場を、それぞれ起業するには、どれだけ資本が必要だったのか、また、それぞれの資本投下規模はどれくらいだったのかを比較する為に、明治20年~30年頃の史料から抜粋して書き出したものです。
尚、器械製絲場項は、大まかですが、あくまでも繰絲機本体と周辺部品のみの価格です。
実際に運営するとなると、マネージメント経費や人件費や、原材料購入費など、様々な運転資金が加えて必要になりますが、・・・そういう部分は、ここでは割愛しておきます。
イタリア製の器械という輸入機器ですが、それでも、70人繰りの製絲場の器械分で、座繰り器なら大まかに1370人余りの座繰結社ができる資本規模に相当しています。
ただ、これは、両者のスケールと性質の違いについて、捉えやすくするための比喩的な数値ですから、あくまでも参考に・・・と、ご理解ください。
このように生産プラントを輸入するという他国に技術依存した生産方法では、このような高額の生産機械の価格を受け入なければ仕方ないですから、生糸をどれだけ輸出すれば利益が出ることなのかと思いやられます。
・・・だから、実利を目指した従来の座繰器による糸の品質に安住せずに、自国の技術を総動員して、また、工夫と研究を重ねて、木製の器械繰絲機というものを、つくりあげていった人々がいたということは、凄いことだと思いませんか。?
長野県の諏訪地方を中心に発達した、諏訪式という器械繰絲機とならんで、当時の三重県は、その一翼を担っていたのですけれど、ただ、残念なのは、三重県の養蚕製絲の衰退が、比較的早かったので、そういう感動的な部分に携わった多くの人々を再評価できないまま、消滅してしまったのですが、その後に、養蚕・製絲の華やかなりし頃から直接携わってこられた方たちが中心になって、情熱をかけて、資料を収集し、展示運営をおこなっていらしゃる資料館もあるのです。
皆さん、だんだん御高齢になってきていらっしゃいますが、・・・いつまでも御元気で、三重県の養蚕と製絲にまつわる様々な様子を、子供たちに伝えていただきたいと思うのです。


