“ cultura giapponese”-Tokyo story (Yasujiro Ozu) | ーとんとん機音日記ー

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山間部の限界集落に移り住んで、
“養蚕・糸とり・機織り”

手織りの草木染め紬を織っている・・・。
染織作家の"機織り工房"の日記



“ cultura giapponese” 






Il grido della cultura giapponese

-Tokyo story (1953 / Yasujiro Ozu)-





ここから、核家族化が始まり、年寄りの居場所がなくなっていった。

“イエ”・“ムラ”・・・そういうものが疎まれ、生活に追われ“一族の血の絆”というものも次第に希薄になっていった。
農村でも、都会でも、日本中が近代的で文化的な生活を目指した。

“家”で家族に囲まれて生まれ、家族に見送られて家から旅立つ命の営みが、
“病院”で生まれ、病院で手厚い医療に包まれて亡くなるというような完全介護の孤独な死に変わった。



【industrial society】・・・[揺り篭から墓場まで。] 総てのものが産業化され、商品化されていった時代でした。

あの分岐点(別れ道)の処を、別の方に進んだとすれば、
今、日本は、どのような国になっているのだろうか。?



「なぁおい。広いもんじゃなぁ東京は・・・。」

「そうですなぁ。」
「うっかり、こんなとこで逸れでもしたら・・・。」
「一生涯探しても合わりゃしゃあせんよ。」



「あの、別れ道のところで逸れた、もうひとつの日本とは、再びめぐり合うことができるのだろうか。?」




「どこにでも居そうな人々」と「どこにでもありそうな家庭」を描いた・・・Ozuの映画は、最初、とても退屈なものに感じた。正直に言うと「こんな、TVのホームドラマみたいなものの、どこが面白いのか。」と思ったこともある。
わたしは、有名だからといって取繕ったような「わかったふり」をするのは嫌だから、この映画を薦めてくれた人にとって、その時のわたしの感想は多分に不本意なものあったに違いない。

このOzuの映画が制作された1953年とは、年代的には隔たるが、少なくとも小学校の頃までは、なんとなくこういう雰囲気も少しばかり残されていて身近のものであった。
だから、日本のどこででも、同じような感じが、まだ漂っていたのであろう。


今、振り返れば、「身近すぎて気付かないこと」って、あるものだと思う。

わたしの育った時代では、まだ、家庭の中に、古い世代と新しい世代の葛藤が残っていた。
細かなことをいえば、おばあちゃんが作る料理と、母が作る料理の味や作りかたの他、いろんなところで、それ等、歪んだ音が、少しばかり顔をのぞかせていた。

いまさらながらに考えれば、「わたしも、Ozuの映画のテーマに、気付かぬうちに、取り込まれていたのだ。」


・Ozuの映画は、日本の「どこにでも居そうな人々の、どこからでも聞こえてきそうな会話」と「どこにでもありそうな家庭の中での気持ちのすれ違い」を素材にして、日本の“anima etnica”の断末魔の叫びを映したもののように想う。

だから、これは、単に、古い日本に対する郷愁とかを描いたものではない。
淡々とした口調で“日本の文化の殺戮”の物語を謡う、吟遊詩人の叙事詩なのだろう。


想起すれば、小津安次郎というひとは、伊勢國の松阪商人小津与右衛門家「湯浅屋」一統の分家である新七家を出自としている。

松阪商人小津与右衛門家と聞けば、少し心得のある人なら“小津桂窓”のことを思い浮かべるであろう。
文化14年に、14歳で本居春庭に入門した小津桂窓は、小津安次郎にとっては先祖にあたる。





小津桂窓は、戯作者曲亭馬琴の友人であり、古今の稀書を蒐集した西荘文庫の主としても知られる。また文化元年(一八〇四)生れの本居春庭の長男 本居有郷とも、同い年であるからか親しく、「御嶽の枝折」は、一泊二日の旅程で本居有郷等と、桜の名所の伊勢國一志郡奥津駅・石名原駅に近い御嶽(三多気の桜・真福院)まで出かけた折の紀行文だ。

1913年に満9歳で小津が東京深川から松阪の第二小学校に転校し、松阪で育った小津安次郎は、先祖の小津桂窓が遺した西荘文庫の蔵書類や、曲亭馬琴との関係では「八犬伝桂窓評」小津桂窓 [撰]をはじめ、「八犬伝六輯 馬琴自筆校本」(六冊),「八犬伝評答 馬琴作芝居本」(一袋),「南柯夢 馬琴自筆校本」(六冊),「文定紋馬琴自筆校本」(6冊)、「姫万両長者鉢木 馬琴自筆校本」(1冊)なども含めて、鈴門社中(本居宣長)にかかわる諸本や、もちろん「古事記伝」にも親しくふれていたのであろう。

そのように考えれば、馬琴の「南総里見八犬伝」にあらわされた「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の霊玉をめぐる物語」と並びたてて観てみることも、小津作品の新たな魅力が見つけられるかもしれないが、・・・。

しかし、それよりも、・・・。




「お父さんもう帰りたいんじゃないんですか。」
「いやぁ、お前じゃよ。お前が帰りたいんじゃろう。」
「東京も観たし、熱海も観たし、もう帰るか。」
「そうですなぁ。かえりますか。」



ドラマの中で交わされる老夫婦の何の特別な意味も持たなさそうな会話の断片を、日本の“anima etnica”にささげるレクイエムなのだと聴けば、それは涙が出るほど、切なく悲しい。

この老夫婦には、帰れる場所が残されていたが、逸れた、わたしたちには、それがない。
わたしたちは、もう、帰るべき原郷もなくしてしまったのかと、恐ろしい孤独に眩暈を覚えて立ち竦む。

日本国中が東京の豊かでモダンな生活に憧れ、日本の津々浦々、どこの村や町でも、いつか東京のようにになりたいと思った時代。
それは、今考えると、「どうして、そんな悪夢に魅入られてしまったのだろうか」と想う。

しかし、わたしたちは、それでも懲りずに、特徴のない街を造りつづけ、同じような生活を営み、挙句の果てに、グローバルスタンダードだとかTPPだとか言っているのだけれど・・・、気がつけば、いつか、ホメーロスに謡われる幻の國のように日本はなってしまうだろう。

その最後の燈が吹き消される時までには、八犬伝のように日本の“anima etnica”仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の霊玉か再び姿を顕すのでしょうか。?