いま、“山村生活ぎゃらりー”のPre-openingにむけて大忙しです。
掃除も、まだまだやらなければいけないし、
その他にも、色々やることが山積みです。
まず、近くの集落を撮影して廻って、メインに使うグラフィックイメージを決めました。
やっぱり、イメージで伝わるものも多いので、そういう点でも気を使います。
わたしもそうですが、ビジュアルによって直感的に好き嫌い善し悪しの判断をしますから、そこで、ポリシーが素直に表現できてないと振り向いてももらえないと思います。
それで「じゃあ、“山村生活ぎゃらりー”のpolicyって、何なの。?」と自分に問いかけてみます。
田舎にある古民家を利用したギャラリーなんて他にもあるだろうし、そういうものは珍しくもないので、自分がここでやりたいことを、はっきりと描けなければ伝わりません。
すると、やはり「自分の原点につながる」のだと思いました。
わたしの場合、それは少数民族の織物です。
踏み込んで言えば、「彼等の生活と織物との密接なかかわり」です。
そういう関わりをもっている人々を、正直言ってうらやましいと思いました。
つまり、例えて言えば、「どんなに素敵な湯のみが在っても、美味しいお茶がなければ、虚しいことだ。」というような感じのことです。
「こんな素敵な湯のみが在るよ」と展示しても、身近に美味しいお茶があって、それを味合う生活がなければ、作ることは虚しいような気がします。
この“湯のみ”と“お茶”の関係のようなものが、織物の場合では何にあてはまるのかを、この“山村生活ぎゃらりー”を運営することによって、自分はじっくりと確認したいのだと思いました。
だから、“山村生活ぎゃらりー”で企画する“exhibition”の主役は、
織物や工芸の作品だけではありません。
そういうものを使う“くらし”のあり方や、“文化”というものも、もう一方の主役です。
また、コミュニティーにはなくて集落には在るものというようなことも考えたいことの一つです。
それ等を、山村の集落を散策したり、山村の野菜や産物を味合うことから感じ取って欲しいという願いが、「“山村生活ぎゃらりー”のpolicy」ということになるのだと思います。
結局、いろいろ考えた末に、
グラフィックイメージは、このあたりでよく見かける萱草を刈り取って乾燥させている藁塚のようなものを、撮影したフォトを使うことにしました。
この藁塚のようなものは茶畑の肥料などに使われているようですが、呼称がわからなかったので、明日にでも近所のひとに尋ねてみようと思います。
刈り取ってすぐの頃は、円錐状のかたちをしているので、
そういうものが、いくつかあると、ちょっと面白いのです。
きょうも、津市の地域振興課に企画書をお持ちして御あいさつに伺ったりして、なんだか、あまり慣れないことをするのに忙しいだけで、ちゃんと準備ができているのか不安な感じもするのですが、・・・。
とにかく、今月の18・19・23・25・26で、Pre-openのexhibitionを開こうと予定しています。
