伊予の機-1(高機) | ーとんとん機音日記ー

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山間部の限界集落に移り住んで、
“養蚕・糸とり・機織り”

手織りの草木染め紬を織っている・・・。
染織作家の"機織り工房"の日記



 「佐田岬半島の仕事着」という愛媛県歴史文化博物館の資料目録に裂き織りの織機として収録されている高機は、とても特徴的なかたちをしているので、以前から興味をもっていたところ、・・・。
 今回、西予市の明浜歴史民俗資料館と野村シルク博物館に収蔵されているものを実際に観る事ができたので、その事について記そうと思う。


 先ず、「佐田岬半島の仕事着」に、裂き織りの織機として示されている事には、すこし違和感があった。
 もともとは地機が用いられていたと思うのだが、時代の移り変わりと共に地域に高機がひろまって、仕事着の裂き織りにも高機が用いられるようになったというところは多いのだろうから、この地域でも、そのようなことが起きたのだろうと想像した。



ーとんとん機音日記ー-伊予型高機_01

【伊予型高機 –野村シルク博物館–】



 上の写真のような伊予型高機は、菊屋新助が、京都の西陣から花機を取り寄せて、木綿機織業の殖産勧業を試みたが、花機は機構が複雑過ぎるという事から、改良を加えたものを次第に量産し、木綿高機縞(松山縞・道後縞・伊予結城)の織機としたことを起源とすると伝わる。

 この機に経糸を機がけした時の角度は、現在も西陣で使われている“綴の機”に近いように思う。

 ただ西陣のそれは、機台自体が傾斜しているので、そこに“機がけ”する事によって、自ずから織布面が傾斜するようになっているのだが、・・・。

 伊予型高機では、機台自体の構造は並行型で、“間丁(けんちょう)”という機の部材を支持する柱部分が斜めになっていて、かつ、千巻(cloth beam/布巻/妻木)の位置より高く持ち上がるようになっている。
 この場合、“機がけ”した経糸は、“けんちょう(間丁)”とクロスビーム(cloth beam、千巻、布巻 妻木)によって張られるので、それによって織布面が傾斜するようになる。

 また、“間丁(けんちょう)”を支持する柱が斜めになっているという、この工夫によって、支持柱を垂直に立てた時に比して、伊予型高機では、“織前”から“ちきり”(緒巻/男巻)までの間丁の長さは、約20㎝くらい長くなる。


 このような工夫は、できるだけ間丁の長さを長くとりたい絹機的な工夫なので、木綿機としては特殊だと思う。木綿機については他の地方でも、「高機(絹機)を半分に切ったような・・・」と形容して伝えられるように、作業に占める場所小さくし、材料費を少なくするメリットから、より小型のものが用いられたし、木綿はその性質上、間丁の長さを短くしてもいいので、この工夫については不思議な気がする。
 だから、私見だが、この機は本来的にはできるだけ小型の絹機をつくる目的で改良が加えられたものなのかもしれないと思う。


 いづれにしても、菊屋新助が、この改良高機をつかって、高機縞 (道後縞・松山縞・伊予結城)を織り始めたのは、享和年中(1801~1803)か、遅くとも、文化年間(1804~1817)初期のころだという。

 そこでおもしろいと思うのは、伊予松山と言えば、伊予絣の産地で、伊予絣は周知の如く鍵谷カナ女が考案し広めたものと伝わるが、カナ女は天明二年(1782年)に生まれて、元治元年(1864年)に没したといわれるので、時代的には、菊屋新助の改良高機とも重なり合い、それで、カナ女が考案した初期の伊予絣では、菊屋新助の改良高機が用いられたのかどうかという点が非常に気になってくる。

 一説によれば、鍵谷カナ女が、絣の着想を得たのが、
享和元年、或は、享和年中の事とする。

 本当におもしろい事に、同じ時期に、同じ地域で、伊予の機織文化にとっての、ふたつの巨星がスリリングに交叉する。


 このことは、伊予地方の機織文化史に於ける興味に終わらず、我が国の機織文化史・機業史に於いても興味深い位置を占める出来事だと思う。

 わたしはこの事に気づくまで、カナ女が考案した伊予絣は、久留米絣と同じように、最初は地機で織られ、後に高機が導入されたものとばかり思っていたが、菊屋新助の改良高機の普及を考慮に入れると、もしかしたら、伊予絣では相当初期の頃から高機が用いられたという可能性も否定できないと考える。


 だから、実際に菊屋新助と鍵谷カナ女がであっていたのかどうかは、ちょっとした歴史ロマンかもしれないという点を、ここではじめて指摘しておく。




*参考文献
・「佐田岬半島の仕事着(裂織り)」愛媛県歴史文化博物館
・「民俗の知恵–愛媛八幡浜民俗誌–」大本敬久
・「伊予絣 –愛媛文化双書15–」河野正信
・「久留米絣」財団法人久留米絣技術保存会編
・「苧麻・絹・木綿の社会史」永原慶二