NO HITTERのレコ発へ。
といいつつ、dustboxもライブは初。

1番目のNOISY WALLは音は悪くないと思ったけど、なんだろう。今ひとつ乗り切れず。
芝居がかったMCするバンドは元から苦手じゃ。多分そのせい。

次がdustbox。普通にメンバーが出て来てセッティング。
ガースーが普通にチューニングしているよ。たまにホルモンのラジオゲストの時に聞いているから、なんというかそのイメージ&外見が先行しちゃっていて音楽とのギャップがあるよなあ。
なんてぼーっと考えている間にサクサクとチューニングが完了。
EGNISHのツアーファイナルの時よりも断然セットチェンジの時間がかかっていないんじゃない?
アルバムの1曲目4592436305のイントロと共にメンバー登場。
このイントロ聞いただけであがるよなあ。
最初っから飛ばして、あおるので、フロアも一気に盛り上がる。
ドラムのbpmが速い。ハイトーンボイスがきれいすぎる。
なので、ライブは、、、
いやあ、かっこいい!!
この一言につきるね。
3人そろってキッズをあおる、あおる。というか、あおり過ぎだって。
仙台にしてはめずらしくダイブが交通渋滞中。
思わずつられて飛びそうになったことはだれにも言っていないけど。

1 Right now
2 Not over
3 Daisy
4 Rain or Shine
5 Shine Bright
6 September
7 Wall of ice
8 Sun whibh never sets
9 Try my luck
10 Tomorrow

最後の最後にTomorrowを聞けてよかった。
Wish tomorrow wouldn't come.
今がすてきすぎるので、本当にそう思うよ。

帰りに再びdustboxチームに遭遇したため、思わずチラ見。やっぱりギター持っていないとスガちゃん小動物系だわ~www 一瞬和みそうになりました。いやはや、29歳の大人をつかまえて何いってんだか。

NO HITTERは初。そして、CDも持っていなかったため、知っている曲はなくて、
ちょっとドキドキのライブでしたが、、、
こういう音楽すきだなー。
今度、絶対タワレコで買う気がする。

本当、好きな事をやりつくした感じ。
年末の訃報を知らなかった。
ICEの曲には色々な思い出がつまっている。
随分遠ざかっていたけど、また聞いてみよう。



にしても、このPVには時代を感じるなあ。
当時はかっこいいなあって思っていたけど。
怒濤のお仕事weeksもとりあえず、一段落。何はともあれ・・・・。
あー、ちかれた。

日ごとに疲れていく中、やたらとヘビロテのホルモン。
最初は苦手かも、、、、と勝手に思い込んでいましたが、前のアルバム聞いたら、なんだか中毒性がある模様。ついつい聞いている。
疲れたからだにムチ打つにはあのbpmがうってつけ、、、、なんだろうか。
それにしても↓の頃のダイちゃん、やせてたなー。



よし、これから飲みに行ってこよ。
水曜日発売のアルバムを聞く。
予告通り、曲調も歌詞も外の世界に開いている雰囲気をビシビシ感じる。
そして前作よりもしなやかになっているし、
デビュー時みたいな衝動の強さを感じた。

初期のアルバムもいまだに人気が高くて、
「初期衝動」の塊
みたいなそれはすごいアルバムだったけど。

今のアルバムはその頃のアルバムからは固さがとれて、
変幻自在に動かせる筋肉をつけて、のびのびとだけど、
何か目に見えない熱い衝動を感じるアルバム。
正直、歌は相変わらず上手いとは思えないし、
好きな曲とそうでない曲の差ははっきりしているけれど、
CDを通しても感じるこの熱さ。にやりとしてしまった。

自分の好みからいけば、余計な肉をそぎ落として体脂肪率7%なみの
無駄のない、洗練された音楽を奏でるバンドが大好きだけど、

何年経っても、青臭い「衝動」を奏でるこのバンドのこういう姿勢が好きなんだなあ。
でも、このアルバムの中で一番好きなのはラスト二曲目。
「鉄コン」の主題歌になった曲。
多分バンドの意識が変わる前の曲ということで、
アルバム全体を通すと浮いている感じも受けるんだけど、
イントロのギターといい、リフといい、全てツボ。
そして、歌詞。
いつも的確な言葉で形作っている曲が多いから、
たまに心象風景的な歌詞の曲が意外にはまって好き。

このアルバムに対する評価はどうなるかは知らないけど、
開き直った30代はこれから5年の間にすんごいアンセムを作り始めるのだ、
という予感をものすごく感じた一枚だった。
そう。これはその決意表明で、序章にしかすぎない、、、、、と思う。
もっとすんごいのが出て来るよ。

表題のもとになったこの曲は、ライブで聞いたら絶対モッシュしそう。(ダメだけど)
鳥肌たちましたよ。特に、ドラム。かなり見直しました。(すっごい上から目線だけど)
音の波に溺れます。





と思ってしまったので。

ちょくちょく、のぞいているブログというか日記があって。
公式の文のはずなのに、正直に、というかこころの中が揺れている内容も含めてダダモレな内容で、
でもなんだかわかるところが多くて、むしろこちらのファンになっていたけど。

今日の日付で書かれていた日記も、すごい長文で、
正直、書いたのが自分だったら後から読んだら後悔してしまいそうな内容(笑)。
ここ数日、作詞モードのせいなのか、ちょっと振り切れ気味だなあと思う内容だったけど、
やっぱりこの人の世界観が好きだなあと思った。

色々なことにグルグル悩んで、また同じところに戻って、
なーんてことをくり返しているのは自分ばかりかと思っていたけど、
いつになったらもっとスマートに生きれるようになるんだろう、ってうんざりするのも自分だけかなあと思っていたけど。
いるじゃん、ここにも。
その人の世界観を知った上で、読んでみると何気ない単語や文節に含まれる意味がばーっと広がって、
見ず知らずの他人だけど、その見ていた風景が共有できている気がして感動してしまう。
うん。
だから、やっぱり他のどんなものよりも、聞くと無条件で掴まれてしまうんだなー。
さて、誰でしょう。



ほいほぃー。限りない長考の末にたどりつくのは大抵の場合、「なんだよ、そんなの超当たり前じゃん。どうしてこんな当たり前のことに今まで気がつかなかったんだろう?」っていうような結論。どうして気がつかなかったのか?それは、本当に必要なことは誰かに教わるのではなく、自分で気付く以外ないからだ。前回の日記で書いた、必死で守り通してきたもの。それは己の「個性」。個である性質、つまり単一でいる自由のことだ。だから大抵の場合選択する行動は「抵抗」もしくは「反骨」だった。何に対してかって言うと、「一元化」や「平均化」といった類のもの。誰も楽しくないのに全員がうっすらと笑みを浮かべている状態や、己の意思決定を自身の属する集団の多数決(成否・善悪すら問わず)にひたすら追従させること。それはつまり「個性」の喪失だ。学校であれ家庭であれ、教育は時に「みんなと同じにならないと困るのは君だ」や「人と違う考えはただそれだけで間違っている」といった集団絶対説を反論の余地すら与えずに繰り返し体に覚えこませようとする。(「時に」ってのは、そうではない家庭や、そうではない教育者がいることも知ってるからだと思う。そういう人に出会えた人は幸運だよね。)これは、「何も考えず、何も言わずに口を開けて待っていなさい。そうしなければ分け前を入れてもらえないんだよ。」っていう総ロボット化的観点だ。世界中を旅したわけでもないけどね、日本ほどこれを「そうとは気付かれないように上手い具合に実践」してる社会はそうそうない。これに対して常に「ふざけんなよ。分け前なんているか。俺は俺だ。」っつって中指を立てて生きてきたわけ。幼少期に強い拒絶を経験するとこういう性格になるのが典型的らしいけど、見事に型にはまっている。「マトリックスの人間電池、あれが僕らだ。目を覚ませ。」っていうメッセージをばらまきたいとは思わない(V for Vendettaでも同じことが描かれてるから、ウォシャウスキー兄弟のテーマは今のところこれなんだろーか)。映画の中でマトリックスに帰りたがる奴がいるように、それも本人の自由な選択の範疇だ。それにシステムが機能しているうちは、そちらを選択するほうがはるかにリスクは少ないし、賢明って表現すら当てはまるような気がするよ(カタストロフ的状況下でのこういう人の生存率はすごく低いらしいけど)。じゃあどこを見落としていたのか。俺は自分のことをgroupism的思考回路を持つ人と共存することは出来ない死滅因子のようなものだと思ってた。圧倒的多数派である彼らといると自分がどんどん消えていく恐怖を強く感じたからだ。自分の意思を持つ自由は常にリスクと背中合わせで、そのリスクを背負えないのは臆病なこと(=悪)だと思い続けた。だから俺はどこへ行こうと浮いて、多くの場合敬遠される「厄介者」だ。活発な議論の末に集団的解決を見出せるのは、individualistたちが構成するgroupの中でだけだと。それにシステムが機能しているうちは、そちらを選択するほうがはるかにリスクは少ないし、賢明って表現すら当てはまるような気がするよ(カタストロフ的状況下でのこういう人の生存率はすごく低いらしいけど)。じゃあどこを見落としていたのか。俺は自分のことをgroupism的思考回路を持つ人と共存することは出来ない死滅因子のようなものだと思ってた。圧倒的多数派である彼らといると自分がどんどん消えていく恐怖を強く感じたからだ。自分の意思を持つ自由は常にリスクと背中合わせで、そのリスクを背負えないのは臆病なこと(=悪)だと思い続けた。だから俺はどこへ行こうと浮いて、多くの場合敬遠される「厄介者」だ。活発な議論の末に集団的解決を見出せるのは、individualistたちが構成するgroupの中でだけだと決め付けたし、それ以外の集団には、隷属するか、そもそも所属しないかの二通りしかないと思っていた。目を覚まさないといけないのは俺の方だ。人はそれでも、俺を受け入れてくれている。その輪の中にいれてくれようとしている。世界に拒絶されていると感じながら、拒絶していたのは僕だ。なんて狭小なんだ!「反骨」を捨てない限り、友達なんて出来ないと思ってたんだよ。なんだよ、そんなことないじゃないか。このままで受け入れてもらえる道があるじゃないか。そのために自分がするべきことはたった一つ、自分とは違う個性を持った人を尊重する(敵でも味方でもないという視点から見る)ことだ。なんだよ、そんなの超当たり前じゃん。どうしてこんな当たり前のことに今まで気がつかなかったんだろう?寝起きに書きなぐって後悔する典型的な文章だとは思うけど、心はどこへでも行ってしまうからね。人に優しくできるようになるために必要なのはなにも、牙を折ることじゃない。闘わないといけない状況はこれからだっていくらでもめぐってくるし、どんな人間に対しても優しくなんてしたくもないけど、優しくしたい人に優しくできない生き方はとても疲れるんだ。
今日もすごくいい天気だね。気分がいいや。歩くとちょっと遠いんだけど、パンケーキ専門店を見つけたよ。スパムとオムレツがついてくんの。うんまいよー。