今日、最難関だった先住民学部「北とその人々」クラスでの、ディスカッションリーダーの勤めを終えました。
ぎりぎりまで課題の記事や、関連付ける為の今までの記事をいつになくじっくり読みこんで、いつもどおり時間が足りず、クラスには遅刻しました。
ディスカッションが始まる前に、クラスメイトに「今日私がディスカッションリーダーなんだけど、きっと何も言えないから、私抜きででもみんなで話してね。」と言っておきました。
普通は最初に記事の要旨を言うのですが、一行言ったところで、棒読みでつっかえつっかえになり、「記事のまとめは言えないので、もう質問から始めましょう」と言って、質問に飛びました。
一番簡単な質問から、私がこの記事を読んで一番興味を持ったこととして質問しました。
記事のテーマは「地球温暖化と植民地主義」で、質問のテーマは「自然」と「幸福」に関することだったので、先住民といえども西洋思想にどっぷりとつかっているクラスメイトや、祖先が西洋人のの教授には質問自体の理解が難しいようでしたが、数人が答えてくれました。
いつも私を気にかけてくれる友人が、「日本は自然を大切にしてるんでしょう?日本人の考えはどうなの?」と、私に振ってくれて、私も議論に参加することができました。
日本人の考えではなく、私の考えと前置きしたうえで、自分の意見を述べると、「でも、日本は資本主義だよね。」と質問されました。
この件は、私がいつも持論をもって熱く語っていることだったので、どのように資本主義の中で自然を尊びながら生活しているかを、喜んで話してしまい、ちょっと逸れすぎで話し過ぎるぐらい話しました。
それは、先住民の人たちが押し付けられた西洋文化社会をいま拒絶しようとしているのに対し、どう違う文化社会が共存できるかの一例だと思っています。
もちろん、植民地化された人々と日本人はあまりにも差があって、単純に比べたりすることは危険ですが。
他の質問では、自然を大切にして生きる為の伝統知識を持つ先住民が、地球温暖化に対してどうリーダーシップを発揮できる可能性がを話しました。
クラスメイト達は、よく意味が分かっていない感じでした。
賢い議論ではないかもしれませんが、私の英語さえ伝わっているならば、あるひとつの訳分からない意見について考えてもらえたので、良かったのではないかと思っています。
自己満足です。
今日のクラスまでは、社会学のDeviance and Conformity (はみ出し者と適合)クラスの成績が思ったより悪かったことや、「北とその人々」の論文計画書を書くことに専念して1週間以上も講義ビデオを視聴していなくて遅れていること、それでも「北とその人々」の論文計画書が、時間切れで全く途中なまま提出してしまった自己嫌悪とで、もう1教科諦めて落とそうかと思っていましたが、もうちょっと頑張ろうと思っい直しました。
考えたらもういつもこのパターンです。
もう無理、もうちょっと頑張ろう。
もう無理、もうちょっとだけがんばろう
今年はうまく咲かなかった庭の花たち。秋になって元気が出始めて、落ち葉の中で咲いている。
でも今日は-4℃だったのであっという間に終わりです。