カナダは昨日、真実と和解の国民の休日National Day for Truth and Reconciliationでした。

 

 

1870年代から1990年代の間に家族から連れ去られ

 

政府に強制的に寄宿学校に入れられた先住民の子供たちを思う日です。

 

政府の目的は、先住民のカナダ社会への同化。

 

つまり先住民のアイデンティティーを殺すこと。

 

 

学校は、教育ではなく、ブルーカラー職業訓練で、

 

多くの子供が先生であるキリスト教の宣教師からの虐待を受け、

 

そのトラウマは世代にわたって引き継がれ、

 

現代の機能不全家族や先住民社会の色々な問題に繋がりました。

 

 

ある一人の女の子が、寄宿学校に入ったとき、

 

おばあさんからのプレゼントだったオレンジの服をはぎ取られ、

 

学校の服を渡され、オレンジの服は二度と戻ってこなかった。

 

 

この話から、オレンジのTシャツは真実と和解の象徴になっています。

 

当日は全クラス休講なので、

 

大学では前日にオレンジTシャツを着ている人がちらほらいました。

 

ほとんどは先住民です。

 

でも、小学校では、半数以上の生徒がオレンジを着ていて感激しました。

 

 

 

 

今日の「条約と合意」クラスで、

 

教授はこの日が国民の休日になったことを疑問視していました。

 

国民は、ただ休みで喜んでいる。

 

寄宿学校について考えているようには見えず、何も変わらないと。

 

第二次世界大戦と韓国の退役軍人を称える復員軍人の日は、

 

戦争を考える日と認識されているのに。と。

 

 

私はそれについて意見があったので、

 

思い切って手をあげて発言したのですが、

 

言いたいことは伝わらなかった。

 

 

私は、順を追って話したかったのに、

 

ひとこと言うたびに「それは難しい」とか言われたり、

 

ちょっと違う方向に持って行かれたりして、

 

私が言いたかったことにたどり着けなかった。

 

 

勇気を出して発言したけどやっぱりやめときゃよかったとも思ったけど、

 

後で考えて、ふと気が付いたことがありました。

 

 

私は、普通に

 

「こういうことはしてるけど、それじゃ不十分だから、ああすればいいのに」

 

「原因はこれだから、もっとこうするのも良いと思う。」って感じで話した。

 

 

そして、これだと、教授は途中で止めることができて、

 

私は最後の言いたいことが言えない可能性がある。

 

気づいたのは、これは、日本語の言い方で、英語は違うということ。

 

 

英語の議論は、論文の書き方や英語の語順と同じで、

 

まず結論を言わなければいけないんだ。きっと。

 

 

だから、

 

「私はこうするのが良いと思う。なぜなら、原因はこれだから。」

 

「例えばこういうのがあるけど、こうするべき。なぜなら不十分だから」

 

と言わなければいけなかったと思う。

 

 

 

ちょっと良いことに気が付いた気づいたかなーって思うけど、

 

いや~、やっぱりもう発言はしたくない。

 

 

発言しないと慣れていかないし上達しないけど、

 

発言したあとはたいていがっかりしすぎますショボーンダウン

 

 

しばらくは求められた時だけ、「まず結論!」を頭において話しをしたいです。

 

 

7人しか生徒がいない「北とその人々」クラスだけ、がんばって発言の練習しようかな…キョロキョロ