朝からランドリーサービス探しに大苦戦!
値段がありえないくらいに高過ぎて、イライラ。
「あのNYだって、こんなに高くないよ!」
とNYのランドリー料金を知らずに悪態を付いたが、間違いなくNY以上だ。
他を探すものの、あれよあれよと、ビニール袋を引っ提げて、地下鉄に乗り、
サンパウロ最大の目玉であるカテドラルまで来てしもうた!
少し不謹慎ではあったものの、僕の汚れを詰め込んだビニール袋と一緒に
サンパウロの最大見所カテドラルを写真に収める。
近くの噴水をシャワー代わりにしている臭いオジサンたちが多くいるので、
最大見所と言っても、
別になんら違和感なく洗濯物を持ち歩くことができた。
その後は、日本人移民が作りだしたリベルダージ地区へ。
これほどまでに日本の雰囲気を作り出しているとは・・・。
写真には全てを撮りきれないほど、ここは日本であった。
せっかくなので、「あすか」という有名なラーメン専門店で昼飯。
行列が出来ているのも日本らしいが、日本語での会話は聞かれない。
スペイン語、ポルトガル語、そして最近増えているという中国語。
日系人か?中国系なのか?それ以外か?もうごちゃごちゃだ。
両隣のカップルが小ラーメンに餃子という古典的日式スタイルだったので、
僕は、「ラーメン、半ライス!」と注文。
「ラーメンにライス??!!」、「なんて斬新な!」
とは驚かれなかったけど、久しぶりのラーメン、おいしく頂いた。
そして、ブラジル移民というものに興味を持っていた僕は
日系ブラジル人移民史料館へ足を運んだ。
やはり、昨年2008年はブラジル移民100周年の年だった。
去年のコーヒーのCMで大々的にブラジル移民を扱っていた記憶がある。
史料館は非常に残念なことに、写真禁止。
僕としてはブラジル移民について、写真を混ぜながら
紹介したかったのだけど、それはかなわず・・・。
著作権?などでお金の問題で・・・」とあやふやにダメな理由を答えていたが、
多くの人に知ってもらいたい史料館であるのであれば、やり方を変えてほしい。
全ての日本語解説文とビデオを鑑賞させてもらい、ふむふむなるほど、と学ぶ。
日本語で展示は分かりやすい!
日本人移民がブラジルという未知なる土地で一生懸命、努力していたこと。
日本の農業技術を生かして、ブラジルに合った農耕を確立していったこと。
農業にとどまらず、卸業や加工業など幅広い分野に進出したこと。
過去から現在に渡って、ブラジルで果たしている役割の大きさを実感した。
正直、改めて、日本人って我慢強く、コツコツ努力ができて、
そして、優秀なんだな~、というのが1つの単純な感想。
最後に、1つ、移民の人の国籍について、個人的に疑問があったので、
わざわざ事務所まで言って、質問をさせてもらった。
日本語ペラペラ、色白の若い日本人女性が対応してくれたのだが、
実はその彼女、国籍はブラジルだという。
帰り際、受付にいたおじさんと会話をすると、
おじさんの両親は移民1世同士で知り合い、共に日本人。
けど、ブラジルで生まれたご自身はブラジル人。
「日本に行ったことがありますけど、私は外人ですよ、あはは」、と・・・。
現在は、ブラジル人の奥様と生活しているとのことだった。
たまたま立ち読みした現地の日経新聞のコラムにて。
24歳の日系ブラジル3世の女性についての記事だった。
おじいちゃん、おばあちゃんは日本人、2世である両親はブラジル人、自分はブラジル人。
5歳の時から両親と日本で生活をしている中で、ブラジル人であることに違和感を・・・。
24歳にして、彼女は周りに反対されることなく、日本国籍を取得。
この3人の例は僕が日本国籍を有しているということよりも
複雑な事情ではあると思ったもの、これについては深くは考える気がしなかったし、
なんとなく、あまり考えてもしかたのないこと、と思えた。
とは言っても、今まで、単語で移民としか理解できていなかったのだが、
リアルに色々と感じることができた。
ちょっとしたもやもやが消えたという点において、僕にとってはよかったと思う。






