僕が今いる町「プンタ・アレーナス」はマゼラン海峡に面した町で、
マゼラン像や博物館といったものがある。
僕自身はマゼラン海峡には興味があったものの、その本人マゼランに、
興味があった、と言えば嘘になる。ただ、せっかくの機会なので、
マゼラン地域博物館に足を運んだり、ネットを使ったりと、
世界一周の開拓者マゼランさんについて軽く調べてみたのだ。
今から500年ほど前に、マゼランが率いる5隻の船、265人の乗組員はスペインを出港する。
途中、マゼラン海峡で反乱を起こし、逃亡した船を除けば、
数年後にスペインへ帰還できたのは、たった1隻で18人・・・。
「なんてこった・・・」
マゼランが途中で死んでいることは知っていたものの、
ここまで生存確率の低い大航海だったとは・・・。
ただ、
なぜマゼランは死ななければならなかったのか?
フィリピンの先住民との戦いで死んだと言われているのだが、
食料を積んだまま、マゼラン海峡で、逃亡してしまった船に
1つの原因を見ることができそうである。
マゼラン率いる艦隊では、何度か反乱が起きているようで、
彼が率いる組織の結束力の低下、そして組織崩壊・・・、
があったことは容易に想像できる。
新しいことや未知なることについては、誰しも正解は分からないので、
不安や恐怖を感じれば、異分子の出現は確かにありえる。
実際に、「ここに海峡があるはず!」と思って行ったところ、
「実際はなかった・・・」ということがあったようで、
その時に、マゼランは多くの船員からの支持を失ったとも書かれている。
結局、食糧も尽き、アジアの島々での食糧強奪戦で戦死・・・。
もともと厳しい大航海が自らの組織が厳しくなったことで迎えた悲劇ともいえる。
そして、もう一つ、興味深かったのが、
マゼラン率いる開拓者と先住民族(被開拓者)との関係。
上記にマゼラン像の写真を載せているが、大砲の下にいるのは、
先住民族たちであり、明らかに征服されている感を醸し出している。
同じ時代でもヨーロッパとパタゴニアの先住民でこれだけの差が・・・。
先住民族との食事の風景などもあったのだが、
実際の関係がどうだったのか?は
スペイン語表記の問題で理解できなかった。
少なからず、征服される側、侵略される側の視点というのも、
大切に見ていかないと、特に現代においては、
企業活動を含めて、物事は結局、上手くいかない。
事実、マゼランが戦死したフィリピンでは、侵略者から国を守ったということで、
その当時のフィリピンの王様は現代でも英雄と考えられているのだ。
そこまでして、やっと見つけた太平洋と大西洋を結ぶマゼラン海峡。
多くの船が行きかい、多くの富が生まれたここ、プンタ・アレーナス。
1914年に中米にパナマ運河が開通してからは、この町もひっそりと・・・。
マゼランさん。
僕は明日、あなたの名が付いた海峡を渡らせていただきます。

