アラビア半島のUAE、オマーン、バーレーンは非常に治安のいい国です。海外からの出稼ぎ労働者も、何か悪事を働くと即刻国外退去になるようで、それを恐れて、盗みとかをする人はいないとのこと。ほんとかどうかは分からないけど、女性一人でも問題ない程度に治安面は心配ないと思いました。
物価面は観光客には高く付くのは覚悟したほうがいいですね。もちろん、出稼ぎ労働者の世界に入っていくことも可能だけど、そればかりでは、しんどくなります。特にホテルはかなりの出費を覚悟しておくべきです。
今回の旅では、特に大きなインパクトはなかったが、1つ思い出した本がある。
昨年、僕が最も衝撃を受けた本だが、「国家の品格」というベストセラーだ。
中東への旅と国家の品格?とう結びつくの?って感じでしょうか・・・・・。
前回の旅のインドでは非常に大きな衝撃を味わった。しかし、それは日本との貧困の差による衝撃であり、優劣の差ともいえるかもしれない。もしかしたらいつかは、同じ土俵に乗るかもしれない差なのかとも。そんなギャップだったり衝撃だったと思っている。
しかし、今回のアラビアの旅は、本質的に、根本的に何かが違う。明らかに別世界なのだ。それは埋まるべき優劣の差ではなくて、性差なのだ。質の差だ。
自分の常識や考え方が正しいと、ついつい思いがちだけど、それは同じバックグラウンドを持った人同士で通じることなのだ。
国家の品格では、そのバックグラウンドになる日本人固有の「ものの哀れ」など、素晴らしい要素をもっと大切にすべきだと、書いてある。日本人同士の中でもそのバックグラウンドが無い人が育ってしまったり、多様化していくと、日本で考え方の相違などが、もっともっと噴出していくんだろうな・・・。もちろん、いい刺激にもなるだろうが。ただ、「人を殺してはいけないのはなぜ?」という質問があること自体が、すでに問題だ。そんなことは理論的には説明できないのだから。
仕事をしていても、話がかみ合わない人がいる、確かに○○さんの言うことも分かるんですけど~って納得はできないけど、つじつまは合う場面は少なくないはずだ。そんなときは、きっと話の出発点が違うところにあるのだ。もっというと、その人の今までの生きかた、考え方、など、バックグランドが違うことによる相違なのだろう。
そして、ドバイのリゾート地を見たときに、これも国家の品格に書いてあったことだが、「論理の世界と実際の世界は違う」、ということをすごく意識した。
綺麗なものを1つ作る。それを10個集める。そうすると、綺麗な街ができあがる。 これは数学的論理で言うと、1+1+1+・・・・・=10 という数式で成り立ち、非常に論理的だ。
しかし、その理論を実社会に持ち込むと、今のドバイのような、非常に違和感のある街が出来上がるような気がしてならない。現実社会においては、確率100%という事象は絶対になく、1か0かで判別ができない。それゆえ、1+1が2にならないことが良く起きる。
よく会社でも商品企画が綿密にマーケティングして、これなら、売れる!と思って世に送り出した商品が、全く売れないということがよく起こる。担当者だって上司だって社長だって、売れると思っているわけだし、みんなが論理的には納得して世に出しているわけだ。それでも売れない。その理由は2つ。1つは売り手のバックグランドと買い手のバックグランドに相違があること。もう1つは、1+1が2にならない現実を意識していないからだ。論理を長くつなぐことで、論理でなくなるのが現実世界なのだ。
ドバイでの違和感は、まさに、表層的な論理を実社会に持ち込んだ結果なのではないか?と思うにはいられなかったのだ。
僕らは温泉や、ビルの合間の古びた居酒屋での会話も同時に心地よく思う。そんなファジーさが、現実の心地よさなのだ。
ドバイよ!表層的な論理がまかり通っていないか!
なぜか国家の品格トークになってしまったが、僕が最近、仕事でも意識をしていることが、旅でも実感できたので、良かったと思っている。
さて、次はアメリカだ。しばし、旅は休憩。仕事に打ち込もう。