地球儀で日本のちょうど裏側にある遠い国、ブラジル。そんな遠い国で絶景を見てきた。
ブラジル北部サンルイスという街からバスで5時間移動したところにバレリーニャスという町がある。そこがレンソイス大砂丘の玄関口だ。
真っ白な砂漠と雨季に降った雨が池になっている不思議な風景。
ガイドブックにもほんの少ししか取り上げられていないあまり知られていない場所だ。
南米で会った旅人でそこに行った人がみんないいと言っていたのも納得の絶景!!
旅の再開がこんな素敵な場所で良かった!あいにくの曇り空だったので池はそこまで鮮やかな色に見えなかったが、天気がいいときにプロのカメラマンが上空から撮るとこんな風に写るらしい。
レンソイスポスター
これは美しすぎる。。
ここまで青く見えず実際はこんなかんじです。

レンソイス2 レンソイス
レンソイス10 レンソイス7 レンソイス6 レンソイス3 レンソイス3
ツアー参加者は全員ブラジル人。このブラジル人客が本当に面白かった。
全員ぶっ飛び方が半端じゃない。
朝9時台だというのにペットボトルに入れた赤ワインをがぶ飲みし、砂丘までの道中歌って踊って大騒ぎ!
音楽、楽器がなくても自分たちで音を作り上げていく、素晴らしいラテンのリズム!!
ただでさえガタガタな道を池に何度も突入しながら車で進んでいくので車体がボヨンボヨン揺れる。
が、車内でリズムをとって踊るからますます揺れて遊園地の乗り物みたいだ。
しっかりつかまってないと放り出されてしまう。
ツアー客のおっさんはギャグとしかいいようがない程大きいつばのついた麦わら帽子をかぶり、人生死ぬほど楽しいよーといった顔をずっとしている。
一方ブラジル人美女達が身につけてるのはなんともハレンチな水着。なんでこんなに面積が少ないのか、おケツが丸見えである。彼女たちも砂丘にダッシュで駆け上っては上から転がり落ちて池にドボーンという遊びを何度も繰り返しては笑い転げている。
ブラジル人ってなんてハッピーなんだ!見ていて本当にハッピーな気持ちにさせてくれるほど彼らは人生そのものをエンジョイしてる。
おケツが見えていようが人とはサイズがだいぶ違う帽子をかぶっていようとそれが個性なんです!といわんばかりである。日本人とは対極的かも?
レンソイス8 レンソイス11
レンソイスとは、ポルトガル語でシーツの意味。シーツを広げたかのように一面に真っ白な砂漠が続く。
不思議なのは池にいる魚だ。
なんと乾季になると死に、雨季になると再び生き返るという。
どんなに探してもその日はブラジル人観光客以外は見当たらなかったです。
これはあと数年したらウユニのように外国人ツーリストばかりになってしまうのではないでしょうか?
今のうちがおすすめかもしれません。
レンソイスのプチ情報・・・サンルイスからバスが片道25ヘアイス。
               バレリーニャスの宿・・・25ヘアイスを値切って15ヘアイス。暑い場所なので水シャワーのみ。
               レンソイスツアー・・・初め40~50と言ってくるが意外とすんなり25へアイスまで値切れました。
これからメジャーになるにつれてどんどん値段はアップするかもしれません。
魚が本当に美味しいので魚料理がおすすめです。魚にかけるソースもいろいろありますがマンゴーソースは少し甘くてビールに合わないのでアサイソースがおすすめ☆アサイは体にいいしブラジルに来たらアサイを食すべし。アサイアイスも美味しいです。
とにかくレンソイスの白砂漠、、素晴らしい!虹



最近若いパッカーが増えたかんじで爽やかではないがちょっとフレッシュな風が吹く荒木。

昨日夜23時に10人くらいの荒木滞在男性が出かけていくのでまた素朴な質問をしてみる。

「こんな夜から飲みにでもいくんですか?」「ああ、ちょっとね」男10人でニヤニヤして出かけていった。

そしてリビングで宿の主っぽい日本人男性にみんなどこ行ったのかと尋ねると、「これ買いに行ったんだよ。サンパウロの夜はそれしかないよ。」と小指を立ててにんまりした。

ブラジルはタイに続く世界で2番目の売春大国だそう。昼間からセー広場の周辺に立ちんぼがわんさかいる。

日本人男性はブラジルでモテるから普通に恋愛して彼女がいて長期滞在してるんだと勝手に思い込んでたがやはり違ったようだ。

タイの安宿でもこのような光景は毎日だが、なぜ日本人男性は集団でそういうお店に行くのか不思議である。

もうひとつの沈没理由は納豆や大福、ラーメンであることは間違いない。

ラーメンもたこ焼きも焼きそばもあるときたらなかなかこの町から離れられられないだろう。

相変わらずものすごいニュースばかりが飛び込んでくる。

南米で日本人格闘家が殺されたニュース、リオで19人がマフィアとの抗争で死亡。。

もう歩くときに最小限しか物を持たないことにした。

明日からの白砂漠は予定を変更しまくったおかげで他の旅行者と一緒に行けることになったし、サンパウロで納豆食べて旅の気力も徐々に復活です。
鳥居

日曜の東洋人市場

サンパウロの高層ビル群

リベルタージのカラフルな住宅

ブラジル人の昼下がり

キオスク

バス停

レストラン

ペンソン荒木

サンパウロの子供
ちなみにサンパウロで食べる大福は意外にも美味でした。

ブエノスからサンパウロに来て4日がたった。
サンパウロのリベルタージにある東洋人街はとても面白くて快適だ。日本の物がある程度手に入るし、街を歩いていると演歌が流れ、人々が日本語で話しているのが聞こえる。
実際日本人よりも中国人が多いようだが、立ち並ぶ店の名前や雰囲気は明らかに日本的なものが多い。
食事も日本食、韓国料理、中華、アジア飯がなんでも食べられる。
東洋人街の何が面白いって日系人がものすごく興味深い。
いわゆる日本人街として世界で機能しているのはロスのリトルトーキョーとここサンパウロだけらしいのだが、リトルトーキョーとは全然違う街の様子が感じられる。
日系人は今時の日本人とは雰囲気もまるで違うし、日本語の発音は中国人が日本語を話しているようにも聞こえる。
年代にもよるけど日本語よりもポルトガル語で普段会話をするようだ。
サンパウロでもうひとつ興味深いのはリベルタージに古くからある日本人宿、ペンソン荒木だ。(ペンソンとういうのはペンションのポルトガル語読み)
ここには情報ノートもあるし、他の日本人と必ず出会えるので情報の欲しいバックパッカーが集まる。
が、案外旅行者よりも長期滞在してこのサンパウロに沈没している日本人の数のほうが多い。
私が朝チェックインしたとき「今何人位日本人は泊まっていますか?」と聞くと旧館、新館含めて20人いるという。
結構いるんだな。と思ったが、健康的なパッカーにあったのはほんの3人程だった。
あとの人物は旅の途中で沈没してしまったのか、仕事の為なのか長期滞在がとても多い。
年もかなり年上だし40歳前後の人や60歳近くの人も多く、とにかく年齢層が高いのである。
雰囲気的に話が合わなそうだがかなり暇な時間のあった私はどこか警戒しながらもペンソン荒木の人とそれなりに会話をした。
まずは素朴な質問、「どれくらいここに住んでるんですか?」と聞くと「3年」とか想像をはるかに超えた答えが返ってくる。
今までいろんな沈没者を見てきたが、これは相当レベルが高いぞ。。「毎日何をして過ごしてるんですか?」純粋に気になる質問をまた投げかける。「うーん、別に何もしてないけど仕事かなー。」「どんな系統のお仕事を?」一応返答はしてくれるがあいまいな答えが返ってくる。あまりこれ以上聞かないほうがいいと察する。。
そして何人もの荒木滞在者が深夜23時位になると「仕事行ってくるわ」と出かけていく。こんな遅い時間からどんな仕事が?とますます怪しい。日にちが立つにつれてだいたい何でここに長期滞在しているのかがうすうすわかってきた。
もちろん本当に仕事で滞在という人もいるんだろうがほとんどの理由はブラジル人女性である。
噂には聞いていたが、この宿はそういう人が多く、ブラジルでは日本人男性がとにかくもてる。おまけにブラジル人女性は混血が多く美人揃いときてる。
女が理由で長期滞在する日本人男性は非常に多い。タイなどのアジアでもそんな日本人男性はたくさんいるが、火遊び感覚の若い男性も多く、どこかフレッシュな雰囲気がした。
でもここペンソン荒木はそのフレッシュさがない。ブラジルという国は大学生がちょいと軽い気持ちでタイに遊びに来るというところではなくブラジル人女性に嵌ってしまった男たちの異様な空気感がタバコの煙と共に漂っているような宿なのだ。そして宿のおばさんがなんとなくそういう人物と旅人との部屋分けをうまーくしているように感じる。
荒木はドミしかなく、男女別に分けてない。私は3人部屋だったがあとの2人は普通の旅人。意気投合してどこ行くのもいつも一緒で本当に楽しかったし元気が出た。
しかし見所の少ないサンパウロ、みんな続々と荒木を出て行き、自分は取り残されていく。
予定だとリマに戻る日まで時間がまだまだある。それまでブラジルの治安を恐れるあまりこのサンパウロで何もしない日々を過ごすのか、ブラジルの見所を少しでも見てペルーに戻るのか。。
そんな考えも荒木でいつもと変わりなくボケーっとしてる沈没者を見て今後の予定が定まった。
同じことを2度と繰り返さないように最大限の注意を払いながら、最後ブラジル、ペルーで最高の思い出を作って日本に帰ろう。
あのウユニよりも素晴らしいというブラジル北部のサンルイス近くにある白砂漠へ行くことにした。

事件の後3時間警察で待ち、英語を話せる警官がレポートを作成してくれることになった。

ボカ地区の警察には次から次へと強盗に遭った被害者が訪れている。

警察が宿まで送ってくれ、ブエノスの日本人宿として有名なビクトリアに戻って日本人に事件のことを話すとすぐにこっぴどくお叱りを受けた。

「なんでそんな危ないところ一人で行ったの!ボカ地区のカミニートからサッカースタジアムまでの道は治安が悪すぎることは誰もが知ってることだよ。そこに荷物を持った女の子一人で行くなんてどうぞ襲ってくださいというようなものだよ!何で出かける前に誰かに聞かなかったの?情報ノートはちゃんと読んだの?」などなど。

本当に自業自得で馬鹿としかいいようのない行動でした。

すぐに情報が集まる日本人宿にわざわざ泊まっていて情報収集を怠っていたのですから。

宿の日本人とは数人と会話を交わしていましたが、ボカ地区の話をしてもその人がまだブエノスに着いたばかりの人だったり、情報をあまり知らない人だったら治安情報なんて得られるはずもないわけで。

やはり情報ノートをきちんと読んで、宿に一番長くいる詳しい人物にでも聞くぐらいの努力を最低限しないと南米では駄目だと痛感しました。

ブエノスのビクトリアではみなさんに励ましを受け、他の人もいろんな被害にあっているのも聞いた。

南米で強盗に遭いカメラのデータを失くした人は本当にたくさんいる。

「データの紛失はかなりへこむけど命が助かって本当に良かったと思えるように切り替わるから大丈夫。逆に盗まれるものが無くなると気が楽に旅できるから。」と言っていた。

アフリカからこれまでの南米までの動画をすべて失い落ち込んだけど命が助かったのは本当に幸運で感謝すべきこと!

事件翌日、かなり参っていたが当初の予定とおりブラジルのサンパウロに移動した。

アルゼンチンよりも格段に治安は悪いが、サンパウロの東洋人街にいたほうがこのままブエノスにいるよりも数段良いと思った。何よりブエノスから離れたかった。

サンパウロの東洋人外街では40年続く日本人安宿のペンション荒木に泊まっている。

日本人とご飯を作ったり情報収集したり、洗濯をしたり、、特に観光も何もせずにただゆっくりとして疲れを取って今後について考えようと前向きになっている。

が、ブラジルでの危険情報はこれまでのどこよりもすさまじく、首切り強盗に遭って2ヶ月入院した日本人の話や、宿に泊まってるたくさんの日本人男性もブラジルだけでたくさんの強盗に遭っていることがわかった。

ブラジルで怖いのはすぐに引き金を引くこと。殺してから金品を強奪することが多いこと。

マフィアと警察の抗争ではもはや拳銃ではなくミサイルさえもが使われ、街中やビルなどで流れ弾に当たり死亡する人も多数いる。

13歳の子供が17人を殺し、2週間だけ収監されたが法律では少年を処罰することができず、市民の安全の為、警察が少年を殺したという話も聞いた。

特にリオの治安は最悪だ。サンパウロと違いスラムがすぐ近くにあるからだという。

まさに映画「シティ・オブ・ゴッド」の世界だとリオのスラムに行ったことのある日本人男性は話していた。

とにかく襲われたら抵抗しないこと、信号は赤でも決して立ち止まらず、歩き続けること。何度もしつこいくらいに後ろを振り返ること。手ぶらで歩くこと。など忠告を受けました。

もし強盗に遭って物を取り返そうと思い追いかけることは死を意味します。

犯人は追いかけられ、殺される前に自分が先に殺してしまおうと思うから。

日本や他国の常識はここでは通用しない。

南米ではこの治安の悪さを当たり前だと思って覚悟しなければ来てはいけない所だと反省する毎日です。

反省してからでは遅すぎるということをこれからは肝に銘じなければなりません。

今回いろんな方からメールを頂き、「危険だからすぐに帰ってきなよ。」「せっかくここまで来て今帰ったら負けるみたいで格好悪いよ」「せっかくだから最後楽しい思い出を作って帰ったほうがいい」など本当にいろんな意見を頂きました。

自分でよく考えてこれからの行動を決めようと思います。

首はムチ打ち状態ですが、徐々に良くなりつつあり、顔や体の傷もすぐに治ると思います。

本当に心配をかけてしまったことをお詫びします。すいませんでした。


首絞め強盗に遭った。

場所はアルゼンチン、ブエノスアイレスのボカ地区。

カミニートというブエノスの一大観光地を見てサッカースタジアムを一目見ようと歩き始めて1ブロックのところ。

辺りには警察官が10m置きに立っていて、観光客もたくさんいた道で治安が悪いとは特に感じなかった。

突然背後から首を締め上げられ、意識を失いかけた。

私はありえないくらいの叫び声をあげたが通行人はもちろん警官さえも駆けつけようとはしない。

南米では凶器を持っているのが当たり前、助けようとすれば自分が死ぬかもしれないからだ。

無意識に犯人と格闘になり、荷物の引っ張り合いになる。

犯人は荷物を離そうとしない私の顔や体をボコボコに殴り蹴り、とうとうバッグをこじ開けビデオカメラを盗りすごい勢いで逃走。

必死に追いかけようとするものの、腰が抜け、あっという間に犯人は走り去って行った。

すぐに警官たちが追いかけるが捕まえることはできなかった。

首がものすごい痛いけど、顔や足に軽いあざや切り傷だけで済んだのが不幸中の幸いでした。

抵抗すれば凶器を出されてもおかしくない状況。

女性一人ではボカ地区を絶対に歩かないでください。男の人でもやられます。

私が警察に行った時には190cmはあろうヨーロピアンの男性までもが被害に遭っていました。

中近東で2回会った女性一人旅の友達が南米で強盗に遭い、引きずられて指の骨を骨折したという話を聞いていましたが、私と同じ場所で事件に遭った事も後で知りました。

アルゼンチンはとても安全だという印象が強く完全に気が緩んでいました。

情報ノートもろくに読んでおらず他の旅人とも情報交換していなかった。

他の観光客や警官がいるということでは安心できないのが南米。

自分の不注意のせいで心配をかけてしまって本当にすいません。

念のためこれからブラジルの日系病院で検査を受けます。

ブラジル側からの眺めダウン
イグアス10
イグアス8
イグアス7
水しぶきでびちょ濡れ!濡れたくない人ポンチョ買うべし!ダウン

珍しい南米の鳥ダウン
イグアス3
ボリビアのウユニで相当はしゃいで疲れ果てた後、首都ラパスに戻り、アルゼンチンにやってきました。

とりあえず首都ブエノスアイレスで本場のタンゴショーを見て、世界最大級のスケールを誇る世界遺産、イグアスの滝にやってきました。

このイグアスにやってきた当日はものすごい雨、しかも風邪を引いて寝込んでました。

泊まった宿もドミトリーだったのにかかわらず、友達を作る気力もなく1日中寝込んでました。珍しくロンリーな1日。

しかし、イグアスでは絶対にブラジルのビザ取得をする必要があったので寝込む前にブラジル領事館へ。

ブエノスアイレスでビザを取り損ねた私はなんとしてもこのイグアスでビザを取得する必要があった。2時間で取れるとガイドブックには書いてあったが余裕を見て2泊3日でイグアスの町に滞在することに。領事館に着くと申し込み用紙に必要事項を書き、中近東のビザ取得によく使っていた例のオーストラリアワーホリ時代のガン黒写真を提出。

南米もきっと適当だろうから大丈夫だろう。。

が、係員は何度もガン黒写真と私の顔を見比べている。「これは本当に君か?」そしてパスポート写真を指差してこれと同じ写真を出せと言っている。

念のため美白な写真も持っていたが、もうこのガン黒写真を使ってしまいたかったので「これしかないよ、アミーゴしょぼん」と言って様子を伺う。中近東では全然問題なかったのに結構ちゃんとしてるな、南米!

係員は上司らしき人に相談しにいき「OK!セニョリータ!」と許可が下りたようだ。

そんなわけでなんと15分でビザ取得が完了!

写真が普通だったらもっと早かったはず。日本だと2週間かかるらしいし、近隣諸国で取っても2~3日、しかもブラジル往復航空券がないとビザ取得できないらしいので簡単に取るならこのイグアスが絶対におすすめです。通常の90日ビザではなく30日ビザになりますが。

ビザを無事取得した翌日、風邪の体にムチ打ってイグアスの滝に!

アルゼンチ側とブラジル側と2つの国から見る予定だったが宿を出発するのが遅すぎてブラジル側に行く気はゼロ。

みんなアルゼンチン側のほうがいいよと言ってたし、ブラジル側はどうせついでというかやっつけ仕事(観光)でしかなかった。

公園内は無料の電車で移動してしばらく歩くとアルゼンチン側の最大の見所、「悪魔ののどぶえ」に着いた。

ものすごい滝のしぶきで早速ずぶ濡れに!

もう写真を撮ってる場合じゃない。カメラが壊れてしまうしゆっくり見るどころではないくらい!でも確かにド迫力!!

途中出会った日本人の老夫婦がブラジル側も行ったほうがいいとしきりに勧めてくるのである程度アルゼンチン側の滝を見た後でブラジル側も行くことにした。

親切な老夫婦とその専属ガイドがブラジル側イグアスの滝まで送ってくれてブラジル側イグアスの滝にもその日中に行く事ができました。

アルゼンチン側がいいという人がほとんどですが、私的にはブラジル側のほうが滝の全景が見えて良かったです。

そしてアルゼンチンとブラジルの国境を越えただけでがらりとかわる雰囲気も楽しかった!

時間があれば両方行く事をぜひおすすめします、ブラジル側ではかなりの確率で虹のかかった滝を見ることができます虹



日本人7人でウユニを大満喫した翌日2泊3日のウユニ塩湖ツアーに出発した。

メンバーは私を含む日本人2人、フランス人カップル2人、ボリビアに留学しているオランダ人学生2人の6人がツアー客、それにドライバーとコックの計8人で一台の4WDに乗ってチリ国境まで行ってウユニの町に戻ってくるというもの。

2泊3日で宿泊料、食事すべて込みで相場通りの65ドルだった。

みんなでわきあいあいと楽しいツアーになるはずが、地獄のツアーとなることに。

4000mを超える高地に行く為、高山病がどんどん悪化。

高山病は下手をすると死にも至るらしくあなどってはいけない。

治す方法はただひとつ、低地に降りることしかないという。

極度の頭痛、吐き気、めまい、だるさ。。

食いしん坊の私がついに食欲不振になるという事態に見舞われた。

もう戻るわけにも行かず、症状がよくなるというコカの葉(超マズイ!)を噛んだりしながらなんとか耐えた。

宿泊所もみんな相部屋のシャワーなし、極寒という始末。

それでも徐々に慣れてきてヨーロピアンと夜カードゲームで盛り上がったり、まあそれなりに楽しんできたけど高山病はなめてかかっちゃあいけません!!

人によるみたいですけどせっかく素晴らしいところに行くわけだから、高地に慣れてから観光するくらいの余裕が必要だと思います。

私の場合リマから一気に高地のラパスに飛んで慣れる間もなくウユニだったんできつかったです。

でも一番辛かったのは、タイヤがパンクして日の出前マイナス10度の山奥で1時間車の外で待ち続けたことでしたあせる

しかもサンダルだった私は凍傷になるかと思い、道具がなくタイヤを交換できないドライバーに見かねて他の車が通るたびにHELP~!!と叫んで必死でした。

私のHELPで停まってくれた車に道具を借り、それでもタイヤを交換できないドライバー。。

またHELPと叫んで停まった車のドライバーがタイヤを手際よく交換してくれました。

おかげで私は他のツアー客のヨーロピアンの男の子たちに「HELP GIRL」と名づけられ、さんざんからかわれてツアーは終了しました汗

赤い湖や緑の湖、塩湖に突如現るサボテンの山、、ホントに素晴らしい大自然でした雪の結晶

相変わらずパソコンが壊れているのでツアー写真載せれません。

なんで変わりにボリビアの首都ラパスの写真アップしておきます。

山高帽をかぶったインディへナ(先住民)がたくさんいる風情のある町ですベル


土産物市場
生地屋
サガルナガ通り
石畳の道
インディヘナ
カラフルな壁


ピンクの夕焼け
塩湖で寝る
ウユニ
4WDの上に乗って爆走!

塩ホテルのリビング
塩のホテルの部屋
今回の南米旅のハイライトであるウユニはすごかった!

ラパスからウユニの町に夜行バスで着いた直後、日本人が複数で車をチャーターしウユニ塩湖に行くというので便乗することに即決!

4WDの上に乗ってウユニ塩湖を走ればまるで空中を飛んでいるみたい☆

眼が開けれないほど真っ白な世界はどこまでも果てしなく広がっている。

キラキラした塩の結晶や湖、美しすぎるピンクの夕焼け、、。

日本人計7人で変な写真を撮ったりして大はしゃぎでした。

塩のホテルに行ったら本当にベッドからテーブル、イスまで全部塩でできていてびっくり!

ウユニはとにかく感動間違いなしの大自然です☆☆


息が苦しい、めまいがする、頭がかちわれそう。

高山病の典型的な例です。

ペルーを後回しにしてボリビアに来ました。

首都のラ・パスに着いてからは高山病にかかり体がしんどい。。

ラパスはとにかくやっと南米に来たんだ!と思わせる町。

パソコンが壊れて写真のアップが難しくなりました。。

今はラパスから夜行バスで12時間あまり移動してウユニ湖に来てます。

一番南米で来たかったハイライトです。

これから2泊3日でツアーに出かけてきます。

また写真載せれたらアップしようと思います!