ちょうど3連休(4/8~9)だったので、富士山でも見に行きたいなと遠出を考えてたんだけど、ばあちゃんの入院があったので中止にしたんだっけ。
お見舞いに行くことにした!
相方も快く了承してくれ、運転をサポートしてくれた。
誠にかたじけない!
あいにくの天候で鳥海山は、雲の中でした。
途中ガスが出てきた。
病室に入ると、ばあちゃんはベッドで寝てた。
俺に気づいたのか
「◯◯か?)」
と、俺の名前を呼んだ。しっかり俺を分かってくれて、ほっとした。
顔色はこの前よりだいぶ良いようだ。
手を握ると、右手も左手もどちらもあたたかく、こちらもほっとした。
ばあちゃんは小さな声で
「なんにも分からなくなったは~」
と言った。
今まで物忘れもなく、年を重ねてきたことを誇らしげに思ってたばあちゃんなので、ばあちゃんの気持ちを思うと切なくなる。
でも、入院してもう10日もベットの上。朝も昼も分からなくなってもおかしくない。
漬け物買ってきたこと伝えたが、
「食べたくないんだ…。」と
団子も買ってきたが、「食べたくない・・・」と
少し話しては、目をつぶり
また少し寝てしまう様子。
起きたばあちゃんは俺の手を両手で握り、
「よく来てくれたな」
と言った。
俺の手を、ほほに運び
「よく来てくれたな」
何度も言っていました。
うれしいんだな。そして心細いんだ。
ずっと手を握っていた。
目覚める度に
「もう帰るのか?」「もう帰るのか?」
とたずねて来る
まだ、帰らないから大丈夫だよ
と、声をかけたらまた目をつぶった。体力も落ちてんだろうな・・・。
母からその後の経過を聞いた。
4/3(月)より、ゼリーなどの飲食が可能となったのだが、ばあちゃんは「食べたくない」と拒否し、食事は食べてないんだと言う。食べても数口位だと。
母は、梅干しなど持って行き、食べさせようとしてたがやはり進まなかったと。
4/7(金)
唾なのか、痰なのか上がってくるものを調べるために胃カメラの検査をしたとのこと。
検査の結果、胃は、全然荒れてもなくきれいだったと。
これには先生も驚いたらしい。
ただ胃が固くなっているという。どうやらこれは加齢によるものらしいと。
点滴だけでは栄養を補うことは出来ないので、今後は胃に直接栄養を送ることになるとか。
胃に管で栄養を送るのだとか…。
その方法により、栄養はとれるが、3ヶ月ごとに交換や、熱が出るなど、その他の病気のリスクもあるとか…。
母は頑張って説明を聞いたが、それを聞き母はどうしたらよいか分からなくなったと。
何より胃に管は、ばあちゃん本人も望まないだろうし…。
ばあちゃんの介護を覚悟してきた母だったが、
医療的な処置が必要になるとなると覚悟が揺らいできたと言った。
夕食時、おれも付き添ったがやはり食べたくないと、介助で数口のみがやっとだった。
薬だけなんとか飲んだ。
ヤクルトを見せたら、手に持ち飲もうとしたんだけど一口だけで終わってしまった。
また、見舞いに来ることを伝え病室を後にした。
「また、おれが死ぬ前に来てくれな」
相方にばあちゃんのことを話し、少し気持ちが軽くなった。
そんな風に、俺も母の話も聞いてやらないとなと思った帰り道でした。
また、見舞いに行かなきゃね・・・。
翌日、3連休の中日。
所用があり、仙台へ出かけました。
前日、運転してないくせに疲れてた俺 (^_^;)
そんなわけで、またも相方が運転でした。

用事が済むと、相方の奴が突然、
「お見舞いに行くよ」
と言い出してきた。
「昨日行ったばかりだから、二日続けて行かなくていい」
と俺は言ったんだけど、
相方は猪年なので一度言い出したら俺の言うことを聞かないのだ・・・
猪突猛進なんだよな・・・(;^_^A

そんなわけで、仙台経由でめっちゃ遠回りなっちゃうのに病院へ向かいます


もうすぐ陽が沈みそうって時にやっと病院へ着いた。
病室に入ると、ばあちゃんは鼻に酸素カニューレをしていた。
驚いた。
病室にいた母に様子を聞くと
この日、午前中、ばあちゃんの血圧が下がり、酸素濃度も低下したようで病院から母に連絡が来たと言う。母は慌てて病院に来たと言う。
点滴の数は昨日より増えていた。
でも、血圧も安定したようで状態は落ち着いたから大丈夫だと。
酸素していたばあちゃんは、目を覚ました。
そして小さな声で
「今日は腹が痛かったと・・・」
「何にも分からなくなったはぁ・・・」
と。大変だったなぁと話を聞いた。
話を聞くと、今日は兄貴とおばちゃん(ばあちゃんの娘)が来てくれたことを教えてくれたが、
「何にも分からなくなったはぁ・・・」
と言う。
今日、見舞いに来てくれた人のことをしっかり覚えてたばあちゃんだったけど
昨日俺が来たことを聞いたら、忘れてたようだった。
一番めんごだった弟が一週間前に来たことも分からないと言う。
来たことを忘れたことにショックを受けないように話を合わせたが
「今日、お前が来たことは忘れねから・・・」
「覚えておくから・・・」
と、ばあちゃんは、手を握りながら言っていた。
泣かないように我慢して話をきいてあげた。
「暗くなる前に帰れよ」
と俺の心配をしながら
「また来てけろな」
「頼むな」
と、ずっとばあちゃんは俺の手を握っていた。
母は延命治療は望まないと医師に伝えたと言う。
俺もそれでいいと母に伝えた。
母は弟に心配させまいと、ばあちゃんの病状をちゃんと伝えていないらしかった。
末っ子なのでまだ一番小さいと思ってるのだ。
母は、自分の体のことも弟には言ってないのだ。
「あいつも子供じゃないんだから、言わないとだめだ」
と、話した。
「分かった、ばあちゃんのことが落ち着いたら話すよ」
と母は言っていた。
一時間ほど滞在し帰る時間が来た。
ばあちゃんは、酸素してたけど顔色良かったので、それだけ少し安心できた。
「また、おれが死ぬ前に来てくれな・・・」
と、ばあちゃんは、小さな声でいつものセリフを言っていた。
「ばあちゃん、その最後の別れみたいなセリフやめてくれ!笑」
また来るかな」
と明るく声をかけた。
ばあちゃんの何か張り合いみたいのができればと、
この前買ったノートに、昔ばあちゃんが元気な頃に作ってた”うた”を書いてきたよ。
自分の作った”うた”を覚えてるとちょっとの時間だと見てた
外に出ると鳥海山は夕焼けに染まっていた
帰り道に弟に電話でばあちゃんの様子を伝えた。
母親は心配かけまいと、ばあちゃんのことをあんまり言わないこと。
ちょっと遠いかもしれないが、行ける時お前も見舞いに行けよと。
おまえは、ばあちゃんの一番のめんごなんだから後悔しないように、
俺も弟も穏やかでいられるように、
ばあちゃんも穏やかな気持ちでいられるように、行ける時にお見舞いに行こうぜって提案した。
弟は、おそらく涙を我慢してるみたいで
「あー、わかった・・」
「あー、わかった・・」
それしか言わなかったっけ
弟の気持ちは手に取るようによく分かった。
俺も気持ちは同じだから
二日続けて、見舞いに行かなくてもいいや
って、思ってたけど
相方に強引に連れられて良かったなと思いました。
また、お見舞いに行こうと思います。









