いや、朝逃げというべきか?
いつも明るく、シャキシャキと仕事をこなすタイプの女性だったが、旦那が脱サラして始めた商売がうまくいかなかったらしい。
当時、20台の後半か、30台の初めくらいだろうか。
まだ自分で歩くことの出来ない子供を抱えて、主婦をやっていたので、働きに出ることもできなかったのだろう。
夜逃げする数ヶ月前には、
「市役所行って、『ほんと、うち、お金が無いんです』って言ってきた。窓口で。恥ずかしかったわよ」
そんな事を、まるで他人の事のような口ぶりで話していた。
もっとも、真剣な口ぶりで告白されても、僕として手を差し伸べてやるような手立ても余裕も無かったんだけどね。
ある早朝、思いがけない場所で、母親らしい人と車に乗り込むところを見かけた。
声をかけると、驚いたように、一瞬赤ん坊を抱いたままでこちらを振り向いて、何かを言いたそうにしたけれども、すぐに、その母親らしい人に促されて無言で車に乗り込んだ。
その間、ほんの数秒間。
数日後だか数週間後だかに、「一家で家を捨てた」ということを聞いた。
「○○さん、夜逃げしたんだって」
それを聞きながら、あぁ、あの時のことだと判ったけれど、口には出さなかった。
あとから、そっと、彼女たちが住んでいた家を見に行った。
きっと債権者たちの目を欺くためだろう。テラスや家の外側は、しばらく外出しているだけのように、荷物が置きっぱなしになっていた。
今にも買い物から帰ってきそうな感じ。
でも、携帯にかけても、もちろん通じない。
もしかしたらと思って、時々見に行ってみたけれど、そのうちにすっかり荷物は片付けられてしまっていた。
旦那が独立したのは、丁度『脱サラ』なんて言葉がもてはやされていた時だったので、その時流に遅れまいとしたのかもしれない。
友人と始めた仕事だと聞いていたので、何かうまい儲け話でも有ったのかな?
今、日本中が(というか、東京周辺が)東京オリンピック開催決定を切っ掛けにする景気浮揚に沸き立っている。
これ、本物か?
雇用の形も変わってきそうだし、消費税が上がって社会保障は下がって・・・
マタハラに待機児童にブラック○○のオンパレード・・・
報道や特集で景気のいい話を聞くたび、赤ん坊を抱いて、数秒間こちらを無言で見つめていた彼女を思い出すのだ。
