甲子園に行った「栄光の72群」 | 脳内出血を越えたら癌だってよ

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生存目標 2023年6月1日

夏になり、各マスコミで高校野球のニュースが連日報道されるようになった。
もともとあまり興味がないのだが、発病後はテレビの視聴が非常に大きなストレスになるので、高校野球どころかニュースを見ることも無い。

ところで、以前、高等学校入試の一形態として、学校群制度と言うものが行われていた地方が有った。
東京でも行われ、都立の有名進学校であった日比谷、戸山、西、新宿などは、越境入学も多かったようで、それらの格差是正などの為の制度だったらしい。

群ごとに入試を行い、合格者は基本的に「本人の希望に関わらず、その中のどこか」に行くシステムなのだが、東京西部の多摩地区には「72群というものがあった。

72群には都立の立川(たちかわ)と国立(くにたち)の二校が入り、それぞれ東大への合格者が多かったことから、「栄光の72群」と呼ばれたようだ。

実は、おいらの大学にも72群出身者がいて、「何で72群から、うちなんかに来たの?」と言われていた。きっと滑り止めだったんだろうね。


その「栄光の72群」の中の国立高校が、初めての甲子園出場を果たした年(1980年)が有った。
その年の3年生は、難関校への現役進学をあきらめ、野球一筋の春夏を送り、翌春見事に玉砕して果てたという。

しかし、甲子園で一勝は挙げたし、浪人後は難関校に進学したわけだから、彼らの人生にとっては、難関校入試以上に意味の有る夏だったんじゃないかな。

何だか、甲子園で活躍する学校も、私立の野球エリート校が多い昨今では、ちょっとほっとするような話だ。


その後、群制度のひずみから、都立高校の難関大学合格率は減り続け、私立の台頭とともに、群制度そのものも、全国的に終わってしまう。


もともと群制度を考えた人は、その改革が「良かれ」と思って始めたのだろう。
大失敗に終わった「ゆとり」教育も同じ。
そういう意味では、僕たちは歴史の生き証人だ。

今後のアベノミクスで謳われる「医療改革」はいかに?
もっとも、それがどうなるかわかる頃は、僕たちは「死に証人」になってるだろうけどね。


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