れにちゃんにとっての国立とはなんだったのか。そしてれにちゃんにとってのももクロとはなんなのか。その答えはわかりやすいようでわかりにくいのかもしれない。
QJの高城れに特集号を読んで、自分は感動したと同時にある種の痛々しさも感じてしまった。れにちゃんはここまでももクロ・高城れにである必要があるのか。人間・高城れにに戻れる時間はあるのだろうかと。
かつてれにちゃんがリーダーを降ろされた理由として「高城は責任感が強すぎて押しつぶされてしまうから」という意見があったと耳に挟んだ。確かに本番直前、不安で泣きじゃくるれにちゃんの映像を何度か目にしたことがある。パンナコッタでのメンバーカラーチェンジの時にリーダーカラーである赤を引いた時も、他のメンバーが笑顔を交えながらそれぞれのカラーを楽しむ中、なんとしてもセンターを務めあげようと必死の形相で挑んでいた。
今思い返すとあのパンナコッタが国立前にファンがメンバーを直接激励出来る最後の場だったかも知れない。あの日、ももクロらしい和気あいあいとしたMCの中でれにちゃんは1人号泣した。れにちゃんの国立に懸ける強い想い、そしてももクロへの強い愛を感じた気がした。
迎えた国立の舞台、れにちゃんの目に涙は無かった。いつも通りの満面の笑顔、ガムシャラなダンス、透き通った歌声、とんちんかんなMC。控室で人間・高城れには大粒の涙を流したかもしれないがステージ上のももクロ・高城れには強くたくましかった。
最後の挨拶でれにちゃんは「どんどん叶えられる夢に自分でもついていけない」と言った。そして「私達についてきてじゃなくて同じラインに立ってずっと一緒にいて欲しい」とも。れにちゃんはいかに自分が凄い存在になってしまったのかを自分で確認する間もなくここまで大きくなってしまったんじゃないか。そしてそんな自分自身に現実味を感じられないんじゃないか。だからこそメンバー、スタッフ、そしてファンといつまでも一緒にいたいと願ったんじゃないかな。ファンの笑顔がれにちゃんを照らす道しるべになっているはずだから。れにちゃんの目には路上時代からのファンの笑顔も、国立で初めてライブを見たファンの笑顔も同じに見えているはずだから。
今残っている唯一の0期生として誰よりも長くももクロと接してきたれにちゃん。ももクロがももクロになる前から、れにちゃんがももクロになることは必然であり運命であり奇跡だったのだろう。
国立後のブログに書かれた「人気者じゃなくて本物になれ」との言葉。多分その道はあやふやで不安定なもの。だかられにちゃんは泣いて迷って立ち止まってしまうかもしれない。でもその時はみんなで道を探せばいい。その為にれにちゃんは俺達に「同じ景色を一緒にみて、色んな思いを共有しあって、与えあって一緒に前に進もうね」と言ってくれたと思うから。
国立の翌日、ディズニーシーでれにちゃんの目撃情報が耳に入った。どうやられにちゃんのほうからモノノフに話しかけたらしい。冒頭で述べた自分の不安は吹き飛ばされた。ああ、高城れには24時間365日高城れになんだな。人間・高城れにとももクロ・高城れにに境界線はない。これからもれにちゃんはステージ上と変わらぬ笑顔をいつでもどこでもでふりまいていくだろう。高城が笑えば俺らも笑う。俺らが笑えば高城も笑う。笑顔と笑顔の無限ループ。高城が笑えば世界が笑う。高城れには裏切らない。