ほい!




最近は時間があると本をよく読むようになりました

昔ハマってたシェイクスピアに再びハマって読んでる

10代の頃に読んだ感覚と今では全然捉え方が違って面白い




その本の中でキャラクターが最後に手にしたのは後悔

悲劇を生むのは何かを選択をした時

その選択を後悔している事が多い




普段の自分を俯瞰で見る事ってのは中々難しいとは思うけど

本のキャラと自分を重ね酷似した考えを見つけては

良い事、悪い事を見つけたり、何故その考えに至ったか

自分に足りないものや、努力の仕方というのも変だけど

ただやるのでは無く、何故やるのか




これはあくまでも俺の持論



少し昔話をすると

10代後半〜20代前半まで芸能界で仕事をして

そこで培った感性や向上心

必ず有名になりたいって気持ちも含めて

初期衝動みたいなものがあって



慣れれば慣れるほど、やればやる程、現実を知って到達したい場所が果てしなく遠く見えてくる

何処かで自信を無くして目標を見失ってる自分がいて

行きたい場所まで歩こうとは思わなくなる



芸能界に未練と言うものは無いけど

始めた頃は色んな人の期待や自分の未来に希望があって必死で頑張った



ドラマや映画、舞台、モデル、多少仕事が入って

形になってくるといつからか出来たつもりなってくる

何を勘違いしたのかまだまだなのに全て舐め腐ってた



何も達成してないのに少し形になっただけで出来た気になって満足してる自分

今考えると死ぬほどダサい




こんなもんでいいか?の妥協が自分を少しずつ終わりに近づけてる




慣れの恐ろしさを初めてわかった時はすでに遅くて

楽な選択ばかり選んで、いわゆる逃げってばっかりだった



その頃の俺の「必死で頑張った」は必死で頑張ったつもりでしかなかった




あの時、こうしてれば

あの時もっとああやってれば何かが変わったかも知れない

そんな事を考えたらキリがないな



人それぞれあるだろうけど

俺にとっての2つの後悔の意味は


やって後悔したのは過信

やらなかった後悔は怠慢

次に繋げるにしてもどっちも良いもんじゃないけど


ただその時やらなかった後悔だけは取り戻せない

その時、その瞬間しか無いものだから



少し長くなってしまったが

どうせ嫌でもいつかは永遠にゆっくり眠る日は来るだろうから、それまでに自分が掲げたものをしっかり実現させて

なるべく過信せず怠慢せず学ぶ事で繋がった道を大事にしようと思います



自分を良くやったと褒めれる日がいつか来るといいな






そう思いながらベッドの上で鼻をホジホジ

ハナクソを丸めて1メートル先のゴミ箱に人差し指でピンって投げて入れようとしてます



俺なら入るだろうと思ってチャレンジし外した場合は過信

後でそのハナクソを踏んづけて何故こんな所にハナクソ落ちてんねん!!たった1メートルなのに何故投げた俺?と怠慢した自分をさぞ責める事でしょう










もういいです


さようなら










ほなばいぞ!

小川 祐弥  LIOMP