私達が普段使う「普通」という言葉。


この言葉はたいていの場合、多数派の意見や思想のことを指している。


「人を殺めてはいけない」という事は普通の人間ならば当然の共通認識としてあるはずだが、一部の人間は正義の名の下に殺害を繰り返す。



「普通」とは難しい。





もっと狭い話をすれば、家庭によっても「普通」は変わってくる。


荒川家はお茶碗にご飯粒を一つも残してはならない。
私にとっては普通だが、これが普通じゃない人も当然いるだろう。






「普通」は偉いわけじゃないし、正解でもない。

だが、この世の中で生きて行くためには「普通」を感じなければならない。

普通の価値観がバラバラだからこそ、法律で秩序を保つのだ。




この「普通」ってゆーやつ…。

表現者はあまり好きではない言葉である。

普通という評価は表現者にとってはバツのレッテルだ。

「普通じゃない」という評価の方が、表現者は喜びがちだ。

とりあえず近くに自称何かの表現者がいれば、「普通じゃないぜ!」「今まで見たことないわ!」「こんなの誰にも真似できなーい!」とか言えばたいてい喜ぶぞ。






で、要するに何が言いたいかというと。





バランスよく生きよう!



頑張り過ぎずに。





これも人によるだろうけど、自殺はよくないな。














ってゆーことを思ったのは、さっき通りかかった駐車場が、私の「普通」とは違ったからだ。











一応







これも毎日見れば普通なのだ。