世界を変えるかもしれないアイデイア「途上国から世界に通用するブランドをつくる」 | BACKBONES

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昨日、株式会社マザーハウスの社長山口絵里子(29才)さんのお話を聞く幸運に恵まれました。

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「途上国から世界に通用するのブランドをつくる」ため起業して5年。

国内7店舗、台北1店舗、バングラデシュ工場を持つまでになっています。

山口絵里子さんは100年に1度のカリスマです。

彼女は、バングラデシュの工場でベンガル人と一緒に働き、働くことの喜びをより多くの人にわかって欲しいと考えています。
世界の最貧国バングラデシュでは「援助された金額の10分の1しか必要な人に届いていない」現実、工場で機械以下の労働条件で搾取される現実を知り。
「これを変えるのはビジネスしかない」と思って起業したそうです。

私は話の途中で何度も涙をこらえました。涙を流しました。

ユーチューブにもアップされています。ぜひご覧下さい。

マザーハウスのホームページ

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ジュートのバッグ

(山口絵里子さんの講演内容抜粋)

23才のとき、バングラデシュでこのアイデアを得る。

「途上国から世界に通用するブランドをつくる」

コーヒー豆を入れる麻袋に使われるジュートをバックにできないか。

バングラデシュで工場に裏切られたことも何度もある。

手作りの店をOPEN

バングラデシュで自社工場を始める。

(原体験)

小学校で6年間私は給食を食べたことがない。いじめで4年間学校へ行けなかった。

学校はもっと楽しくあるべきだ、「もっと楽しい学校をつくりたい」と思っていた」

中学校3年間不良をして学校へ行かなかった。初めて楽しかった。

高校になり強くなりたくて男性部員の中で1人柔道に没頭。谷選手と同クラスで7位

「悔し涙を流せなくなったので柔道をやめた」

やっぱり、もっと楽しい学校をつくりたいという思いが忘れられず。大学へ行こうと思い、慶応大学へ。

(世界最貧国へ)

慶応大学を卒業後。教育がもっとも不足しているのは途上国だと考え、途上国を援助する国際機関へ米州開発銀行のインターンに。アシスタントのアシスタント。

その機関のほとんどの人が途上国の現場のことを見たことがないことに違和感を覚えた。

「自分はふかふかのじゅうたんでなにしてんだよ」との思いが強く、日本へ戻らずにすぐに最貧国バングラデシュへ。

「援助はとどいていないじゃん」

自爆テロのなか、バングラデシュの大学院へ入学。ダッカでひとり暮らし。

ベンガル語を勉強しながら、賄賂を要求されながら生きていた。

大洪水6000人も死亡。水が引かない中で200ヶ所で同時自爆テロ、汚職、ワイロの国では援助の10%20%しか求める人達に届いていない。

(ビジネス=起業)

そのなかでどうしよう。私はビジネスをしようと思った。三井物産のダッカ事務所の研修生ながら名刺を持って工場を回る。

バングラデシュでは安い労働しか求められない。児童労働の現実しかない。
買い叩きの現実しかない。あまりにも貧しく悲惨な現実を見た。

巨大な工場が人権を無視して、人間性を無視して動いている。過酷な労働と大洪水などの過酷な自然環境が人々を貧しくしている。

自分にはできることがないと決めて日本へ戻る。しかしなんとかならないかと、もう一度ダッカへ戻った。

「もしかしてこの国の人は仕事で1$2$の製品しかつくれないと思い込んでいるだけじゃないか」と思った。

安かろう悪かろうでなくて、もしかして、かわいくてきれいな途上国のブランドで作れたら。

日本の女の子がそのバックを持ってい。その光景が頭のなかに広がってどうしようもなかった

「黄金の糸」ジュートを布にしようと、工場をいくつも回った。

なんとか日本の技術者の力を借りて布の生地をつくった。

それをバックにしようと20ヶ所以上のバック工場を回り、やっとサンプルをつくってもらえた。

それが始まり。

この人達はできるのではないかという0にも等しい希望。いいものの基準が全然違う。お客様が見えない状況下ではその基準が分からない。

会社のつくりかたの本を買ってきて会社をつくろうとする。資本金をつくるためにアルバイト。

お店への卸ではバングラデシュのバックですといっても全然伝わらない

自分でビデオを撮りながらバックづくりの修行、素材を活かすものづくりに気づく。

バングラデシュの工場で2回も騙され、すべて盗まれる。

バングラデシュで非常事態宣言。他の外国人のバイヤーはみんな帰ってしまった。

(直営店を持つ)

卸を断り直営店を

自分たちの世界観の店でなくては、みんなが苦労して作ったバックを売れない。バックがかわいそうだ。

ビジネスプランコンテストに応募して300万円GET。東京の人通りのないい入谷店250万円でOPEN。

どうにかして人を呼んでくればいい。自分たちで木を切り、ペンキを塗り店をつくる。

(直営工場)

どうしても労働環境が悪い、品質がもう1mm向上できない。そのことから2008年ダッカに7人で工場の操業を開始。現在40人の工場 提携先200人。

毎月3000-4000個のバックを日本へ。

みんな9:00からの職場に7:30から来る。みんな何をしているのかと見ていると縫製とかを練習しにきている。

ベンガル人なんてだめだと思っていたが、いくら言ってもだめだと思っていたが、少しづつ自分でやるようになった。

バングラデシュの工場では、給食を提供している。治療費支給。育児手当。社員ローン。

IDカードを配るのは意義が多かった。いままで工員は名前で呼ばれることはなかった。工員は機械以下にすぎなかった。

一番大きいのはHISのお客様ツアー(HIS初のバングラデシュツアー)

「途上国の物づくりツアー」いっしょにバックをつくる

人生で初めてお客様を見た工員

現在は、現地で100%良品達成。お客様が彼らの現実を変えている。

絶対に自分からの指示は出さない。彼らがやるまで待つ。絶対にバングラデシュで商品開発する。

(これからの夢)

プロダクトを通してバングラデシュを変える。

たったひとりでも信じる人間がいれは道は開ける。

まだまだ自分のスケッチブックには夢がある。日本では夢を語ることを拒むような傾向があるが
夢はかなえるものだ。

工場の10人のチーフは全員自分ひとりでバックをつくれるようになった人達だ。

チームのみんなが力を合わせるように気をくばる。責任感も人一倍ある。

お客様からよろこばれることがこれほど仕事を変える。