舞台しろばら大阪公演、ご来場頂きましたお客様に感謝申し上げます。
しろばらという作品はBACK ATTACKERSの前作「忍者」でハムレットを題材にした経緯から同じくシェイクスピアの戯曲である夏の夜の夢をやってみようという思いからスタートしました。
夏の夜の夢を土台に考え始めた頃、運命的な出会いをします。白バラ解放運動と言う私たち日本人には馴染みの薄いレジスタンス活動をする団体があったことを知ったのです。
彼らのリーダーはハンス・ショル。舞台しろばらのヒロインであるハーミア・ショルの兄役です。
ハンス・ショルの妹はゾフィー・ショル。彼らはナチス政権下のドイツミュンヘンで平和の為に戦った人物たちでした。
ハンスとゾフィーの戦いの経緯を知り、熱い想いが込み上げました。彼らの持つ信念と情熱に心をうたれ、彼らの人生を描きたいと思ったのは最早自然の流れであるかのように気が付けば夏の夜の夢の中で白バラ解放運動のメンバー達が動き出しました。
脚本の中で各キャラクターたちは全て自身の思惑と目的を持っています。目的のあるキャラクターは私が何をするでもなく勝手に脚本の中で動き回ってくれます。夏の夜の夢に出てくるヘレナ、ディミートリアスは特に書きやすく、目的が執着による恋する相手へのアプローチなのでどんどん激しく突き進んでくれました。ハーミアとライサンダーも同じく、シーシアスという圧倒的な敵を相手にどうしようもない現状を打開するために逃げる事を選択し、実行する。その割に寄り道をしていくわけですが、その中で出会う森の住人たちと愛だの恋だの魔法だのと自由を求めて逃げたはずなのにだんだん混沌に進んでいく。キャラクターとキャラクターの出会いと言うものはやはり化学変化を起こす瞬間なのだと書きながらワクワクしていたのを覚えています。
ミュンヘン大学演劇部のメンバーの活気ある芝居、オーベロンとティターニアの夫婦喧嘩から派生してパックとダミニの喧嘩。パックとダミニはまるで子どもの兄弟喧嘩のよう。
馬人が現れてからは筆の進みがさらに早くなり、あっという間にクライマックスまで突き進みました。脚本を書いている時の高揚感はものすごく楽しかったのを覚えています。
脚本を書き上げ、キャストを決める段階で本作のヒロインであるハーミアとその相方とも言えるヘレナを誰にするか…実はものすごく悩みました。
一筋縄ではいかないこの二人。本作に置いて重要なのは言わずもがな、とても難しい役だからです。そしてタフな役です。ペラい役者では絶対に無理。でも若く美しくなくてはいけない。
「そんな俳優いるんか?見つかるんか?」
ええ、そう思いましたよ。妥協しなければいけないのではないか、出来る範囲でやらなければいけないのではないか、そう思いながらオーディションの募集をしました。
今思えば出逢うべくして出逢ったのかも知れない。そう思えるほど二人からは何かを感じたのを覚えています。しかも芝居ではなく自己紹介的なやつで。オーディションにて、好きなものや好きなことを紹介して欲しいという要求をした時に、天崎ことり(ハーミア)は飼っている犬と猫の話を、忽那美穂(ヘレナ)はお気に入りのギターの話を、二人に共通していたのは好きなものの説明ではなくそれに対する情熱が感じられたのです。
演劇的だなぁ…と。言葉と言うものは確かに分かりやすく説明するべき事は大いにあります。日常ではほとんどがそれに使われるでしょう。でも最も大切なことはそれそのものを相手に知ってもらうこと以上にそれをどれだけ好きなのかをを知ってもらうこと。過剰な説明は不粋なのです。
ハーミアとヘレナは物語の根幹を担う役。もちろん他にも候補はいましたが、ハーミアを天崎ことりに、ヘレナを忽那美穂にやってほしいとお願いしました。その選択が出来た過去の自分を褒めたいと思います。
稽古を重ねると共にどんどん良くなる二人に心が震えました。天崎ことりに関しては舞台初挑戦です。あらゆるプレッシャーと戦ってくれたのだと思います。初舞台初主演初座長…手前味噌ですが、私も初舞台初主演初座長でした。私はもう必死過ぎてその時のことをよく覚えていません。ただただ前進あるのみと言った感じでした。自分が出来たんだから出来るだろうってことで大変なことをやらせたな…と少し反省しています。
大阪公演で新キャストを迎え、新たな舞台しろばらを作り上げることが出来ました。新キャストは素晴らしく、どこをとっても見事。私の理想に限りなく近づけることが出来ました。
集団総合芸術。
舞台と言うものは一人では作ることができません。集団で作る総合芸術なのです。
それに置いてコミュニケーションは必須。身体的にも精神的にもコミュニケーションなしには実現出来ないものだと思っています。要するにチームワークです。チームワークの良さが芝居に現れると言うことです。
このチームワークと言う言葉…時々毒と化します。それはチームワークを履き違えた場合に起こる馴れ合いという勘違いです。
私自身学生時代にチームスポーツをやってきて、ずっと感じてきた違和感でした。馴れ合いから来るチームワークもどきは気遣いから自身を守り周囲によく思われたいという承認欲求へと変わっていきます。仲が良いと言う漠然とした概念的理想に支配され、気が付けば甘くぬるい関係値に…これでは本物には到底辿り着けません。人間ですしこうなることも理解はできます。でもそれでは先に進むことが出来なくなるんです。「自分なりに頑張った」「自分は出来ている」「自分にとって居心地がいい場所」どこをとっても自分自分…集団はいったいどこへ行ってしまったのだろう。
自分があるのは作品の為。そう思える個人が集まった集団こそが理想的な状態なのです。そしてミュンヘン大学演劇部のチームにはそれがありました。このシーンをどうするべきか、どうすれば面白くなるだろう?たくさん話して意見を出し合い、稽古でやってみて…トライアンドエラーを繰り返し無敵のチームワークを手に入れたのだと思います。
失敗してもいい。挑戦した証だ。
成功と失敗を繰り返し、何度も立ち上がり戦い続けること。いいんです。失敗なんて些細なこと。間違ったっていい。本気で向き合ったんだから。
自分にも言い聞かせている気がしますが、俳優たちが自由を勝ち取るには失敗を恐れてはいけないと思っています。だって俳優はその役を生きているはずなんです。その役も人間です。間違えることもあるでしょう。その人間臭さですら認めてあげるべきだと思っています。
いろんな事を書き綴りましたが、舞台しろばらは2024年10月20日大阪公演千秋楽でついに完成を迎えました。素晴らしい俳優、スタッフに恵まれ、自身の思い描いていた理想を実現するに至り、大きな感謝と喜びを享受しているところです。
劇的な瞬間。
私は役を生きる俳優からたくさんのギフトをもらいました。私が書いた物語を生き、私がつけた演出を全うしてくれました。こんな幸せなことがあるのだろうか…
また幸せな時間を作れるよう進み続けようと思います。また新しい作品を書きます。作品に命を吹き込み、愛してもらえる物語を。
夜中に書いたので「こいつくせーこと言ってんな」って笑い飛ばして下さい。
長文のご拝読ありがとうございました。
ではまた。





