最近、学生時代によくそうしていたように、


小説を読むことが多くなった。



いままではどちらかというと、科学だとか、小説だと、芸術だとか、


なにかしら、普遍的なものに惹かれていたのだけれど、


もう少し、日常というのを大切にしていきたいと思いはじめた。




それは、何人かの人が言っているとおり、普遍的なものと日常は、表と裏の関係で、


僕らが平凡でなにも変わりないと思っている日常においてでも、ぞっとするような狂気や


確かな喜びや、どの時代にもあてはまる普遍性は存在し、それを形作ったものから、


僕はなにかを見出したいと思う。



そんなわけで、現代の日常を書いている日本の小説とは、いったいどんな


ものなんだろうと思って読んでみた。



『きょうのできごと 』


 柴崎友香



話はそれて、村上春樹もよくよむけれど、彼の小説の日常と、僕の


日常はリンクしない。彼の書いていることは


僕にとっての真実だけど、彼の小説の中の世界は


僕にとっての現実じゃない。



でも、この小説はもしかしたら、現代に生活している僕らの日常を、


穏やかな印象としてでも、鋭くきりとってでも、なんでもいいからなにかの形で、


日常を通して僕に共感をもたらしてくれはしないか、


と期待して、読んだ。



とくに、心に残る言葉とか、場面とかはなかった。


ただ、学生のとき、たしかにあったんじゃないかなあ、こんな感じの空気感。


という感覚を、懐かしく思い出した。



たとえば、現代における

ソーシャルネットワーキングに参加する人の、ちょっと高めのテンション


(それがきっと必要とされている)とは違う、風景のような会話がとんとんと


なされていく展開が、かつて僕の学生時代にもあった。



一緒にいる理由がとくにない友達と、高揚も絶望もなく、いきつくこともない会話をしていた


日常があった頃が懐かく思い出されて、そしていまもそういったたあいもない記憶が残っている


ことをあらためて感じ、あのころは、あれはあれで楽しかったなと思う、と思えたことがよかった。



このブログが残っているかぎり、


この小説が手元にあるかぎりは、またこの小説を思い出す可能性はあるだろうけれど、


たぶん、なにもなければ僕のこの日常からは忘れてしまうと思う。