※支離滅裂です。テキトーです。
無知をベースに考える私とは真逆だな…
普段、無知だと言ってるのは、全てを知ることが出来ないからだし、自らの立場、時間軸でも正しさは違ってくるし、間違いかも?と思ってた方が良い結果が出たりするからなぁ…
モノを1つ買うだけでも、無数に基準が存在して、その瞬間の欲求を満たすことを正しいと思い込んでるだけとしか…
ありもしない正解(欲)に縛られてるだけで、悩んでる間に問題自体が変化し続けてるわけで…
だから、何の都合でそう思ったか?という純粋な疑いが、感情から心を守る術になると思い込んでます。
51%の妥当性があれば、とりあえずOKくらいのユルさが大切かと…
間違いでも責任を負えば無問題…

情報1つで前提が覆されるのに正しさにこだわる時間は無駄なんよな…
自分を疑えってのは正解を導きだすことではなく、洗脳してくる自我を捉える作業と思い込んでます。
この思い込みも私の都合なので欲に繋がってたり、、とキリがない。
だから、正誤は先の変化を想定する材料と受け止めます。
正しさより、何事も正確に捉えられる知性に憧れますわ

以上、戯れ言でした。(経験から学ぶ愚者の回)