昨日の戯曲家の聖子さんのお話の続きなんだけど、とても面白いお話を聞かせていただいた。
聖子さんは大学の演劇学科で歌の講師をしているんだけど、それがどんなものなのかパッとイメージできない。
どんな内容の授業をするんだろう?
「まず基礎編から始めるんですけど、歌う曲について徹底的に質問するんです。例えば戦地へ向かう曲を歌うとして、あなたは誰と戦っているんですか?あなたには家族がいますか?親はどんな仕事をしていましたか?戦う相手には恋人はいますか?その恋人と別れるときどんな会話をしましたか?その時の天気はどうでしたか?そんな具合にとにかく質問するんです。」
演劇とは文字通り演じること。
その人間そのものになりきるわけだから、違う人生を頭にたたき込まなければいけない。
どれだけなりきれるか。
そのイメージの細かさで歌の質がまったく変わってくるという。
もちろん僕も歌を歌う人間なのでそれは基本だ。
しかし僕は歌を作る人間。
それも自分の人生を元にして作っているので別の人生を演じる必要はない。そこで完結すればいい。
もちろん観客を想定して言葉から連想するイメージのコントロールは最低限しなければいけないが、そこまで寄り添ってはいけないし、やりすぎると野暮になるので微妙なさじ加減を意識しないといけない。
オリジナルを歌うならそれでいい。
でもカバーをするならばその曲をキチンと理解しないといけない。
自作の曲がないエルビスは何回も何回も曲を聴きこんでそして歌いこなしていたという。
心がけてはいる。この言葉の本当の意味とはどういうことだろう。
どういう心境でこの言葉を選んだのか、どうしてここは繰り返しパートになってるんだろう。
それを考えながらカバーは歌う。
しかし聖子さんの話を聞いて、それを授業としてやっていて、さらにそこまで掘り下げていくんだということを知って果たして自分が十分にやれているかどうかハッとしてしまった。
曲を自分の中に取り込み、自分の人生と溶け合わさせて歌う、というのはまだやってはいけないのかな。
まずは完璧に違う人生になりきることこそ本当の意味のカバーなのかもしれない。
演劇の世界って奥が深いなあ。
さ、今から実家の美々津に帰ります。
空は雲ひとつなく、暖かい風が吹いています。
陽光に南国のおだやかな寂しさがあります。
