備忘録。 | せきららだいありー

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千葉ケイコの足跡。
生きた証。すべて。




周りからいつしか「爆弾娘」と言われるようになっていて、
なんでだろう、なんでだろう?
と、ずっと疑問に思っていて。
つーか争いとか嫌だし、
悲しい事はあってほしくないし、
それ以前に争いとか面倒くさいし、そもそも時間の無駄だと思っているし。

「爆弾娘」と言われてる意味を自分の中で解釈してみたら、わしは正直に本能のままにしか生きられない人間なんだなあ。だから爆弾娘と言われているのかなあ。と思ってしまいました。
そしたらなんだか腑に落ちました。


以前はみんなから愛される人間になろうとか、
共感を求めようとか、数字とか、
集客満員御礼にするとか、音楽で稼ぐとか、
人の意見に耳を傾けて取り入れたり取り入れなかったり、誰かの期待に応えようとしたり、
試みたり、実践したり、経験したり、そう思うようにしてみたり、
どれが正しいのか正しくないのか、
わしなりに本気で向き合ってきたけど、
もうどんどんそれをやればやるほど自分自身から遠のいていくのが分かり、しんどくなってしまったことがありました。
ソロでやる前のバンドの時も、
ソロを本格的に始めたあたりの時も。
本気で悩んだし羨んだりマジで苦しかったです。
音楽や唄が好きで始めたことなのに、危うく嫌いになりかけるところでした。人間も嫌いになりそうでした。


コロナ禍中に少し休んでリフレッシュしたことが大きな転機になりました。
大切な人たちに気軽に会えない苦しさもどかしさ、実際に他界してしまった方もいて、
「今を大切にしなきゃ」って強く思うようになりました。
わしはただただ唄・音楽・人間が好きな気持ち一つだけで、
毎回本能のままに心のままにライブするほうが性に合ってると思いました。

というか、
どんなに影響を受けても誰かの真似事とか、
カッコつけるとか無理だし全く出来ないって気づいたので、
もうありのままで今のわしをカッコ悪いとこも全部さらけ出す事にしました。
そしたら一気にラクになりました。
伝わる人には伝わるんだなって思いました。その一人が心強いのよ。

ライブ(わしの人生観・価値観・存在感など)に関しては、もうわしは人に共感を一切求めないし、好き嫌いも関わる関わらないも人に任せています。
でも、脳裏に残ったり良くも悪くも引っかかるなら、それはそれでとても嬉しいことです。

なんどでも言おう。
わしはただただ音楽・唄・人間が好きなだけでやっている。
「生ライブ」文化を止めたくない。それだけ。
それ以外なんもいらない。

生身で触れ合う事で、きっかけや大きな発見があったり転機だったりもあるわけで。

音楽は人の心を映し出す鏡。
だから面白いしやめられない。

というか、ライブは生きること。その人の人生そのもの。
「千葉ケイコが好きだ」「千葉ケイコが居ると良い時間になる」「千葉ケイコが居ると心強い」「千葉ケイコが出るならライブに足を運んでみようかな」「お前の唄が好きだ、唄い続けてくれ。お前の作る曲が好きだ」
とか、そう言ってくれてずっと関わってくれてる人を大切にする🟰信頼関係。

貪欲でいたいし、良いところ見つけて尊重できる人間でありたいけど、関わり続けていくかどうかは、わしが決める。
生きたいように生きようぜ!

人生長いようでそんな長くないから。
今を大切に!