わたしにとってのあなた


わたしからすれば、


結局、全ては主観だろう


主観以外に何を持てるのか、


他人にとっての悪人でも、

その人が自分に優しく声をかけたなら、

自分はその人を悪人とは思わないのだ。


結局すべては己の都合で判断される。

自分にとって都合の良い事ならば、

それが嘘であっても、そこに誰の心もこもっていなくても、

それがただの表面であっても、

気持ち良いと感じてしまうのだ。


そしてそういう僕もそうなのかと思うと、

気持ち悪くなってしまうのだ。


人を愛するという事はそういう事なのだろうか、

自らの存在を消して、

表面的に人によく振る舞い、

取り繕う努力をする事が・・・


僕が表面を気持ち悪いものと思ってしまうのは、

そこに心を感じなくなってしまったからだ。

カラッカラの心のこもっていない言葉が評価される世の中が、

気味の悪いものと感じたからだ。


この世には表面というものがある。

それ故に嘘や欺きも在れるのだ。

こう論ずると、「こころ」とはそれと真逆に位置するものだと思われる。


人に心のない笑顔をかわす事と、

何かを企んで欺く事は、

表面の観点からして何もかわらないのだ。

それが嘘であるという点で等しい。


人にとって、僕の心なんてどうでも良いのだ。

ただ僕があなたに優しい言葉をかけてあげれば、

そこに僕の心がどれだけこもっていたかなんて事は、

あなたにとってどうでもよいことなのかもしれない。


それと同時に僕にとってもあなたの心なんてどうでも良いのかもしれない。

ただあなたが僕に優しい言葉をかけてくれるのなら、

そこにあなたの心がどれだけこもっていたかなんて事は、

どうでもよいと感じているのかもしれない。


そう思うと、僕は、

とても虚しい、気味の悪い夢を見てるような気分になる。


僕は甘えているのか、

ただ愛されたいと醜く飢えているのか。


表面なんてどうでもいいから、

僕の心を見て欲しいと、

飢えているのか。



表面とはただの皮ほどのものでしかない、

中身のないものでもかまわない。


僕にとって表面とは嘘、欺きなのだ。


世界は、表面の世界だ。

社会は「表面」そのものの存在だ。


僕にとって人とは、

嘘の中で生きる人々なのだ。


表面に隠されて、心がどこにも見えなくなってしまっている。


子供の頃はそんな事、考えた事もなかった。

僕はバカみたいに純粋で、信じていた。


表面と心は連結しているものだと、

僕は騙されていたように感じて、

気持ち悪くなってしまった。