掲示板は語らいの場として適した構造をしています。ブログは適した構造だとは思いませんが何らかの形で語り合いが起こることがあります。

僕みたいな理屈好きの人間なら一度は思ったことがあるかと思うのですが。悩みを相談する掲示板に書き込んだ人が結局馴れ合いで終わったりすると「微妙だなぁ。」と感じたり。

ネット上の交流の中で、自分と違う意見を持つ人と話し合いになって、結局望んではいない結果になってお互いが悲しい思いをする事が起こったりします。


僕たち理屈好きの人間が掲示板などでお互いの意見を語り合う場合、何も頭ごなしに相手の見解を否定して自分の主張を相手に植え付けようと思って論議するような人は少ないと思います。

お互いの意見を交換することでお互いの磨きあいになるからです。

お互いの器量が足りない場合は喧嘩になったり、自分を否定されて悲しくなったりする事があります。


自殺を考えている人に批判的な態度をとってはいけない、同じく自傷行為をする人にリスカをやめろとは言ってはいけないなどという常識があります。


否定ってなんでしょう、誰でも自分を否定されると悲しくなったりします。

否定って、干渉に似ている気がします。


人は誰でも一人一人自分の世界というものを持っていると思います。それを否定したり干渉を加えたりしてると思えばもう人を否定することもないと思います。

一人一人の世界という事は、それは現実世界のように相対的なものではなく、幻想世界のように絶対的なものだからです。だから否定することは無意味になるんです。


おそらく大多数の人が人を裁く権利を持たない人だと思います。

たまに愛とか善意と称して、間違った道に進もうとしている人を強引にでも止めさせたりする事があります。

でもそれが本当に愛の場合は文句は無いんですが、たまに人を裁く権利など到底もっていないであろう人が、愛とか正義とかいって人に干渉を加えることがあります。


そんな事を言っている僕も人を軽蔑したり馬鹿にしたりすることがあります、でもその度に思うんです。

「そういえば俺に人を裁く権利なんかなかったな。」


前に愛の定義について記事を書きました。

愛は「無条件でそのままを認めて受け入れること」です。

否定することとは間逆のように思われます。


否定ってなんでしょう?